2006年12月27日

正月の住宅地へ闖入した街宣車(箕面市長)

さて、箕面市長への不信任決議が新聞をにぎわせている。
詳細は前の記事「箕面市長への不信任決議(藤沢純一市長)」を読んでいただければと思うが、この不信任決議について、藤沢純一市長と同グループの中西智子議員が書いた記事「市長不信任決議否決!で見えてきたもの。」に、気になる記述を見つけた。
提出会派を代表して質疑に答弁した議員は、自ら「10年前の怨念」を本会議で披瀝した。ま、じつに正直な本音を吐露したというべきかもしれない。
10年前の正月に市長が市議時代に自分の自宅へ街宣車で乗りつけ、当時豊中市長だった父親を非難したことについて、ご近所の反応もよくなたった=藤沢市長に対し、批判的である。という内容であった。
さて、ここは冷静に読み返して事態を理解すべきところだ。
10年前の正月に(藤沢)市長が(まだ)市議(だった)時代に自分(=答弁者)の自宅へ(藤沢議員が)街宣車で乗りつけ、当時豊中市長だった父親(=答弁者の父親)を非難した
現役の箕面市の市議会議員の行動として、正月隣の市の市長自宅“街宣車”で乗りつけて、ご近所に迷惑がかかるほど非難した(つまり、周囲で大音量スピーカーによる街宣を繰り返した)という行動には、筆者は常軌を逸したものを感じるのだが、みなさんはどうだろう。


これは、不信任決議案が提案されたときに、前川議員の質問(不信任理由の「市民の間で不信と批判が高まっている」の根拠を示せ)に対して、民主市民クラブの林恒男議員が答弁した内容の一部のようだ。

たしかに、10年前のこの一件が、前川議員の質問への回答として最適か?という疑問も理解はできるものの、掲示板に報告された質疑メモを見ると、林議員の回答はこれだけではなく、コミュニティバスの発言を巡る一件などの話もしているようなので、おそらく話の一環として昔話に触れたのを、中西議員が「こんなことは理由にならないでしょう!」という揚げ足をとるために、この部分だけを切り出して記事に書いたと見るのがよさそうだ。

ちなみに、前川議員もホームページで、
回答に立った林議員は、まったく見当違いの意味不明の父親の話をしだすなど、傍聴席からも野次と失笑が出る有様でした。
と触れており、藤沢市長の後援組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」でも、
林議員の答弁は、10数年前の個人的な体験を述べただけだった。
と取り上げている。


さて、最初に話を戻すが、この行動、何度読んでも理解できない。

隣の市である豊中市長との間で、いったい何を揉めたのだろうというのも気になる上に、その報復として“街宣車”を繰り出すという行動。
しかも、豊中市役所ではなく、市長の「自宅」にだ。現在の林議員(坊島)と同じ住所かどうかは不明だが、おそらく住宅地には違いないだろう。
さらに、その迷惑行為を敢行したのは正月だという。周辺のお宅には、さぞ、めでたくない新年だったことだろう。

そして、この行動をとったのが、現役の箕面市議会議員だったというから驚きだ。その上、その人物は、今、箕面市長になっているのだ。週刊誌に取り上げられてもいいくらいの話ではないかとすら思う。

ちなみに、10年前といえば、ちょうどこの頃だ。
平成7年の藤沢純一市長の写真


中西議員は、林恒男議員がこの件を引き合いに出した理由について、「10年前の怨念」であり個人的な話だと切り捨てようとしているが、(もちろん、こんなことをされたのであれば恨みを含んでいようとまったく不思議はない)はたしてそれだけで済ませられる話だろうか。
林議員の父親が元・豊中市長だというのも初めて知ったが、この話、林恒男議員以外の議員が引き合いに出してもおかしくない、藤沢市長(当時議員)の奇行として十分に特徴的な事件だ。

こんなことをしてきた人物が、箕面市長に就いていて、その市長の信用の是非が議題にあがっているのだ。信用を推し量るうえで十分参考になる材料と感じるが、あらためてこの行動、みなさんはどう思うだろうか。


さて、藤沢市長(当時議員)のこの過去の奇行にも驚きだが、一方、さすがは愉快な市民派だと感じさせる中西とも子議員のファインプレーも素晴らしい。
というのは、まず第一に、この10年前の藤沢市長の行動を克明に紹介しているのが、実はこの中西議員のブログだけなのだ。

上記のとおり、前川議員プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)も、林議員が指摘した内容にまでは踏み込んでいない。市民がメモした掲示板の質疑メモでもこの内容は取りこぼされている。
中西議員がブログに書いてくれていなければ、当面(議事録が出る3ヶ月以上先までは)、林議員が一体何を言ったのか詳細な文字にはならなかったはずだし、当ブログも気づかずに見過ごすところだった。

藤沢市長を守るため、林恒男議員が見当違いだと指摘しようと一生懸命になってしまい、10年前の藤沢市長の常軌を逸した行動を、自ら一生懸命インターネットに書き綴って暴露してしまうという、この本末転倒の行動には笑ってしまう。


また、「正月に街宣車で住宅地の個人宅を攻撃する」という行動そのものを一切問題視せず、まったく悪びれずに躊躇なく書き綴っているという点も笑えてならない。
そんな行動が当たり前であるかのような素振りで「こんなこと理由にして人を批判するの、おかしいでしょう?」と言われたら、普通の人はヒク。

・・・もしかすると、こうした行動は中西議員にとっては別に珍しくもない日常的なことなのかもしれない。自らの感覚が周囲からかけ離れていることに気づいていないそのズレも、愉快な市民派の真骨頂といっていい。


さらに、この文章に続く中西議員の分析は、
これは、10年前の事象に対する恨みであって、今回の市長は住基ネット裁判で上告しなかったことに対する市民の評価とは全く無関係。
と、相変わらず早とちりな論を展開している。林恒男議員の発言を誘因した前川よしと議員の質問は、不信任理由のうち、
藤沢市長は、公約をことごとく反故にし、嘘とごまかし、すり替えに終始し、市議会や市職員は言うに及ばず、市民の間で不信と批判が高まっている。
という一文(公約破棄についての一般的な不信感)を巡ってされたもので、住基ネットの上告見送りのことなど話題にもなっていない。一生懸命なのはいいが、あまりに毎回毎回、中西議員の見当違いのコメントに笑わせてもらうので、申し訳なくすらなってくる。


さて、もちろん過去の行動だけで人物の善悪を短絡的に決めつけてはならない。過去に過ちがあったとしても、近頃よく耳にする「再チャレンジ」を妨げないよう気をつけるのは重要なことだ。
だがそのことは、過去の行動に責任を持たなくて良いという意味ではない。そして、信用とは、行動の積み重ねからしか生まれない。

自称「市民派」グループ「昔のことを持ち出すのはおかしい」といった弁に接するにつけ、なぜ過去が持ち出されるのかを、彼らが根本的に理解できていないことがわかる。

藤沢市長の場合、(現在の行動は素晴らしくて批判しづらいので)昔のことを批判しようとして過去が持ち出されているわけではない。
現在の行動のおかしさについて「今回はたまたま間違ったのだろうから大目に見ればよい」と誤解に基づく判断がされないよう、「今だけでなく昔も変だったし反省もない」つまり「今後の改善の見込みも薄い」という論拠として過去が持ち出されているのだ。

そう、あくまで揺らいでいるのは現在の市長としての能力であり、今後の信頼感なのだ。

今後の改善の余地を推測する材料として、過去が出てくるだけなのに、「昔のことを持ち出すのはおかしい」としか反論できないところに、現在の自信のなさが顕れていると言ってもいい。もし、現在の行動に非の打ちどころがなく自信があるならば、「昔は確かに間違いもありましたが」と笑って認めた上で、それがどう改善されたのかを堂々と語れるはずなのだ。

重要なのは、過ちと気づいたときにどう回復行動をとるかだ。その行動にこそ周囲は注目し、信用に足る人物か否かを推し量る。以前も指摘したが、過去から逃げてばかりでは何も解決しない。そろそろ藤沢市長や自称「市民派」議員の皆さんも気づいていい頃だ。
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2006年12月23日

箕面市長への不信任決議(藤沢純一市長)

12月22日の朝は、産経新聞「箕面市長、朝令暮改 住基ネット離脱認めていたのに・・「今後は争う」」の記事で明けた。相変わらず、方針なき住基ネット判決確定騒ぎは迷走しているようだ。

この記事でも触れられていたが、22日午後、市議会で藤沢市長の不信任決議が提案されたようだ。結果は必要数の3/4に届かず不成立だった。

賛否は、出席議員23名のうち、賛成は15名(自民党同友会6名、民主市民クラブ5名(1名欠席)、公明党3名、無所属議員1名)
反対は8名(自称「市民派」議員5名(無所属クラブ・市民元気クラブ)、共産党3名(1名欠席))


すでに、インターネット上ではニュースになっている。また、不信任決議案を巡る市議会のやりとりは、こちらの掲示板で概要を見ることができる。

成立に3/4の賛成が必要という不信任のハードルは高く、不成立なのは残念だったが、予想外のこととして注目すべきは、今年3月の辞職勧告決議には反対した無所属議員1名(永田よう子議員)が、この9ヶ月を経て、今回の不信任決議案へは賛成票を投じたことだ。

今回、永田よう子議員は、わざわざ不信任に賛同する意見表明まで行っている。
自ら「中立の立場」と表明し、慎重な行動をとっていた議員が、ここにきて藤沢市長の不信任を表明するに至ったその意味は重い。


だが、毎日新聞によれば、議会終了後の藤沢市長のコメントはこうだ。
藤沢市長は会見で「正直言っていいかげんにしませんか、という思い。権限があるなら議会を解散したい」と批判した。
(毎日新聞 2006年12月22日 21時40分)
どちらが「いいかげんにする」べきかは百歩譲ってさておいたとしても、「権限があるなら議会を解散したい」には笑ってしまった。

これがもし「市民に信を問いたい」という潔い意味なら、それはそれでよい。ここまで揉めている以上、自ら辞職して信を問うこともできる。
また、どうしても議会を解散したければ、敢えて議会での不信任決議を成立させるという手もある(仲間の自称「市民派」議員に依頼すればよい)。

だが、そんな発言もなく、そんな勇気はまったくないようだ。そのことは、わざわざ「権限があるなら」(=「権限がないから実際はできないけど」)と留保つきの発言をしていることからもわかる。
とすると、つまり、ここで言っているのは「僕が正しいのに、あの人たちおかしいよ」という意味でしかない。

すなわち、なぜ自分が批判を受けているのか、その内容がどういう意味なのか、それをまったく理解できず、学ぶ姿勢もない。自分は絶対的に正しく、あるのは、相手が折れるか消滅させることによる解決だけだ。

もはや何を言っても意地でも話を聞こうとしないこのスタンスを見ると、永田よう子議員が不信任に立場を変えたのもなんとなく理解できる。
奇しくも、この会見のコメント「権限があるなら議会を解散したい」は、なぜ多くの議員が(しかも、これまで対立の激しかった保守系議員のみならず、無所属の議員までもが)藤沢市長に不信任をつきつけたのか、その理由の正しさを証明しているようなものだ。


また、早速、藤沢純一市長の後援組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」には、恥ずかしげもなくこんなことが書いてある。
不信任案が否決されたということは、市長は信任されたわけです。
23人の議員のうち、15人が不信任をつきつけたことをもって、「市長は信任されたわけです」と平然と言い放つことのできるこの神経が常人にはまったく理解できない。

特に、いつも「多数の力で押し切られた」「多数の暴挙」と叫んで「過半数」制度を批判し、「議決されても少数意見を尊重せよ」「議会で否決されたが藤沢市長は正しい」などと主張しているわりには、今回は「15票(23人中)」という「少数意見」には目もくれず、信任票が「1/4」に達したことをもって全面的に「市長は信任されたわけです」ということでいいらしい。

まったく自分を省みるという行動が思い当たらない、この徹底した厚顔無恥さには、さすがに驚きだ。


ここで、不信任決議案がインターネットにも掲載されているので紹介しておこう(→ここ)。

これを読んで押さえておくべき点は、不信任理由の前文にあるとおり、今月頭に発生した「住基ネット判決を最高裁に上告しなかった」事件が、理由の一つにはあげられているものの、あくまで決議案を提出した「きっかけ」であり「一例」に過ぎないとされている点だ。

そして、本質的な問題点は、これまで当ブログでも指摘してきたような自称「市民派」らしき不誠実な行動であり、むしろ決議案の理由はこちらに重きがおかれて網羅的に列挙がされている。

これはもっともだと思う。

理由で列挙された事項は、その都度、当ブログで取り上げているので、主要な記事を改めて並べておこう。良識ある箕面市民の基礎知識として、楽しみながら理解を深めていただきたい。

 ・箕面の災害よりも大切な北海道出張
 ・「箕面再生」が示す藤沢市長の「放漫経営」
 ・「財政危機は歴代市政のツケ」と騙る箕面市長の現実
 ・平成7年の藤沢純一市長の写真(箕面市長)
 ・競艇「箕面市長 豹変ス!?」のその後
 ・広報紙にあいた「穴」(藤沢純一市長)
 ・本物だった箕面市長の手紙
 ・財政危機に突破される元年
 ・ビラか、施政・予算編成方針か
 ・箕面市に他人事な箕面市長(藤沢純一市長)



さて、不信任決議の不成立は残念だが、気をとりなおすために、最後に小さく笑ってしまう小ネタがあるので紹介しておこう。

藤沢純一市長の後援組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」ホームページが先般リニューアルされ、掲示板などでは早くも次の選挙戦の準備に入ったと評されている。
そのページタイトル(ページを開いたときに、ブラウザの一番上のタイトルバーに表示される名称)なのだが、なぜか、
藤沢純一・プロジェクトみのお
となっている。
どうも自称「市民派」は、いつもいつも小さな嘘を気にせず大雑把な発言やビラをするクセがついているせいか、こういう細かいことは気にしないらしい。

ひねりもなにもないのだが、声に出して「ぷろじぇくとミノオ」と言ってみよう。自称「市民派」らしい、なんとも地に足のつかない軽い響きがたまらない。

(※ 親切に画面を保存してくれた人がいます→ここ))

ふと目にとまったときは、思わずその軽さから、以前の記事「空飛ぶ絨毯?」を思い出して笑ってしまった。今後、良識ある市民同士の合い言葉(なんのや?)として使えるかもしれない。


(注)
23日昼、不信任決議案がインターネットに掲載されたので、一部追記。
posted by 箕面仮面 at 04:45| 大阪 曇り | TrackBack(2) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

箕面市長が決めた住基ネット個人離脱とは(藤沢純一市長)

住基ネットからの個人の離脱を認めた大阪高裁の判決を受け、早々に上告を決めた吹田市・守口市とは異なり、箕面市長は上告をしない方針を決めたという。3日前から新聞・テレビと派手にニュースが流れていた。

この件について、日頃の藤沢市長の行動様式を観察している視点で、報道に出ている情報をつぶさに見ていくと、結局(住基ネット賛成・反対とは無関係に)いつもの支離滅裂な行動だというのがよくわかる。


現時点でわかっている状況を整理しておこう。


まず、箕面市と同様に、大阪高裁から住民票コードを削除するよう求められた吹田市と守口市は早々に上告を決めた。このことにより、三審制をとる日本の司法制度では、判決は確定せず、最高裁の判断を待つことになった。
一方、2市とは異なり、上告をしない箕面市に対する判決だけは確定する。つまり、箕面市だけは原告の住民票コードを削除する義務を負うことになる。このことにより、
住基ネットから個人の離脱を認める判決が、全国で初めて確定する見通し(朝日コム) - 2006年12月07日13時26分)
との理由から、新聞・テレビによる派手な報道がされ、同時に、住基ネット反対のスタンスからは、この判断を歓迎するコメントがなされた。
しかしながら、この今回の判決の効力が、一体どこまで及ぶのだろうかと疑問に思い、記事をあさってみたところ、
市は、判決確定後に住民の原告女性1人の住民票コードを削除する方針だが、藤沢市長は「現時点では、原告以外の削除は違法行為に当たる」との見解を示した。(日経ネット関西版) - 12月8日
とのこと。つまり、判決の効力が及ぶのは原告1人だけであり、他の市民が「住基ネットから離脱したい」と市役所にいったところで、「それは違法ですから」と門前払いされることになる。
この点について、さらに産経新聞では、藤沢市長が市議会で述べたコメントとして、
今回住民票コードを削除するのは原告となった女性(58)だけで、「他の人については、人数が増えれば検討会を設置して議論する。すべて『はいそうですか』とは認めない」と述べた。(産経新聞) - 12月7日16時36分更新
と報じている。これだけでも、ずいぶんといい加減な話だというのがよくわかる。
希望がかなうのは訴訟を起こした市民1人だけ。他の市民は増えてきたら考えるというだけで、当面はほったらっかしだ。
さらに、この「検討会」なるものについて、読売新聞によれば、
箕面市の藤沢純一市長は、原告の市民1人を住基ネットから削除する手続きを進める考えを示した。さらに、「原告以外の市民から削除を求められた場合、検討会を設けて技術的、法的側面から検討していきたい」と述べた。(読売新聞) - 12月7日22時46分更新
とある。一見、前向きの姿勢に映るが、ここで注意すべきは先の発言で、藤沢市長自身が明快に「現時点では、原告以外の削除は違法行為に当たる」と認識していることだ。
これは、判決の効力が原告と被告の間にしか及ばないため、その他の市民については通常の法律(現在の住民基本台帳法)に基づいた取扱いしかできないということを言っている。
それでは、そこまでわかっているのに、一体なにを「技術的、法的側面から検討」しようというのか?

政府が法律そのものについて検討するならわかる。
だが、箕面市が単独でいくら「住基ネットから離脱したい」という市民について検討を重ねたところで、「違法」という結論しかありえない。(もしそれ以外の答があるとすれば、すでに全国のどこかの自治体がそうしていたはずだ。)
しかも、その結論(「離脱は違法」という結論しか出ないこと)を藤沢市長自身が公言するほど自覚しているともなれば、「検討会」の唯一の意味は、「検討します」と言って時間を稼ぐ役人の言い訳そのものとしかいいようがない。
なにが、
すべて『はいそうですか』とは認めない
か。では「一部なら認めるのか?」と小一時間問い詰めたくすらなる。

ちなみに、前回の記事(「公約の進捗状況」の実態)でも紹介した藤沢純一市長の公約集「2004年ふじさわ“まちづくりビジョン”」には、
住民基本台帳ネットワークシステムは個人の意見を尊重し、選択的接続を実施します。
とある。市長就任からすでに2年以上という月日は、公約を誠実に実行するつもりならば、今回の件とは無関係に同趣旨の「検討会」をすでに開催していておかしくないくらいの期間だ。
だが、そうした事実は一切なく、今回、唐突に出てきたことからも、「検討会」というのが単なる言い訳に思いついたものに過ぎないことがわかる。


また、今回の原告1人の住民票コードを削除するのはタダではない。産経新聞が報じた箕面市のコメントでは、住民票コードを削除するため100万円??300万円の税支出が必要となるという。
削除するコストとしては1人あたり100??300万円という試算が出ているという。(産経新聞) - 12月7日16時36分更新
未だ全国的な合憲・違憲の判断(最高裁)が出ておらず、市民の意見としてもおそらく賛否わかれる状況にあって、この支出を税金、つまり全箕面市民が負担するというのは、どうにも理屈が立ちにくい。
また、税支出のみならず、
システム上、住民票コードの削除は考慮されておらず、箕面市の担当課では、「作業を進めれば、箕面市全体のデータがネットワークからはじかれる可能性もある」として、対応策の検討を始めています。(朝日放送) - 12月7日20時11分更新
とのこと、システム面でも、他のシステムや他の市民のデータにどのような影響をもたらすのか確認されないままの判断のようだ。原告以外の市民にしてみれば迷惑な話としかいいようがない。


さらに、100??300万円どころか、昨日になって読売新聞はこう報じている。
住基ネット「個人離脱」、1人削除に最大3500万

 大阪府吹田(すいた)、箕面(みのお)、守口の3市の住民4人に住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)からの「個人離脱」を認めた大阪高裁判決を受け入れ、上告を断念した箕面市が、原告住民(1人)の「住民票コード」を削除する検討を始めたところ、削除すると、ネット上で情報やサービスを提供するコンピューター(サーバー)がダウンする危険性があることがわかった。

 削除できても最大で3500万円の経費がかかることも判明。市は今後、専門家による検討会を発足させ、府や国と協議する。

 市情報政策課によると、住基ネットは、市から府のサーバーを経由して国のサーバーにデータが蓄積される。市と府のサーバーは30分ごとに交信し、転入転出などのデータ更新が行われており、原告の住民票コードを削除するには、市だけでなく府や国のサーバー内のデータも削除する必要がある。
(読売新聞) - 12月9日15時9分更新
他の市民の個人情報を危うくする恐れがあって削除できるかどうかわからない上に、全市民が税金で数百??数千万円(最大3500万円)の額を負担するという、はなはだいい加減かつ迷惑な話だ。

通常、この程度のことは事前に検討したうえで判断するもの。
まさかいくら支離滅裂な自称「市民派」とはいえ、箕面市長ともあろう立場の人間が、市民の負担額や危険の可能性など、こうした基礎的な要素を事前検討せずに結論を出したなどとは考えたくないところだ。もし、そうだとすればお笑い草もいいところだが、一方、こうしたことも織り込み済みで判断したとすれば、それはあまりに無謀かつ非合理的な判断としかいいようがない。


さらに最初に話題にあげた「検討会」だが、おかしなことに当初報道(7日)から2日間を経ただけで、すでにお役目が変わっている。
前述の当初報道(7日)の時点で「検討会」と言っていたのは、
人数が増えれば検討会を設置して議論する。すべて『はいそうですか』とは認めない(産経)
原告以外の市民から削除を求められた場合、検討会を設けて技術的、法的側面から検討していきたい(読売)
のとおり、原告以外の市民が削除してほしいと言ってきた場合にどう対応するかの検討会だったはずだ。
だが、昨日(9日)の記事によれば、
原告住民(1人)の「住民票コード」を削除する検討を始めたところ、削除すると、ネット上で情報やサービスを提供するコンピューター(サーバー)がダウンする危険性があることがわかった。
削除できても最大で3500万円の経費がかかることも判明。市は今後、専門家による検討会を発足させ、府や国と協議する。
原告1人をどうやって削除するかの検討会に変わっている。
結局、この豹変ぶりからも、藤沢市長が、記者からの質問に窮するたびに、答えを先送りするため「検討会で」と言っていることは明らかだ。箕面市長のいい加減さは、もはや笑って済むレベルを超えている。


さて、気をとりなおして、今回の判断がどのような結果を招くのかを整理していこう。

まず、住基ネットが法律に基づく全国一律の仕組みであって自治体にほとんど裁量の余地がないことと、情報システムというものが一律に運用されてこそ最大限の効果を発揮する性質のものであること、一方、個人の意向に関わらずシステムに自己情報を強制的にのせられてしまうという不安問題の本質は、国としてこのどちらをとるべきかという点だ。
それが理解できれば、問題に対して最終的に求めるべき結論は、自ずと以下の2つに収斂される。
  1. 国民一人一人の意向については全員我慢しなければならないが、住基ネットを100%運用して効率性・コストメリットを発揮させる(住基ネットは合憲)
  2. 国民一人一人の意向を優先してバラバラの利用をし、効率性・コストメリットはあきらめる(住基ネットは違憲)
しかし、今回、箕面市の原告が1人だけ離脱すると、この先ずっと1の状態はありえなくなる。


どういうことかといえば、仮に吹田市・守口市が最高裁判所で合憲判決となった場合、それでも箕面市の原告1名のみが離脱している状態はこの先ずっと続くので、住基ネット全体としては、

  • 国民一人一人の意向については全員我慢しなければならず、かつ、効率性・コストメリットは最大限には発揮できない

という最悪の状況になってしまうということだ。
これは、住基ネット賛成・反対どちらの立場にとっても不本意な結果だ。

また特に、最高裁で合憲判決が出た場合、全国的な問題は沈静化するが、箕面市民だけは前述のとおり最大3500万円のコストを負担する上、この先ずっと、箕面市民の情報だけ不安定なシステムにおかれ続けることになる。
結局、削除コストもシステム運用の不安定さも、全国一律のプログラムが想定していないことを強引にしようとすることに原因があり、仮に吹田市・守口市が最高裁判所で合憲判決となってしまった場合には、箕面市のみがこうした状況に陥るという最悪の結果となる。


一方、仮に吹田市・守口市が最高裁判所で(今回と同様)違憲判決となり、原告勝訴となった場合、上記2の状態(箕面も他市も自由選択になる)となるため一見問題はないように見える。だが、それでも問題が2つ残る。

理由は、吹田市・守口市に対して最高裁判所が違憲判決を出し、住基ネットの違憲性が確定した場合には、間違いなく国が対応措置をとるという点にある。
法律改正やシステム改修など対応方法は判決次第となるが、住基ネットそのものが全国一律のシステムである以上、システム改修にかかる費用の大半は国が負担することはほぼ間違いない。

したがって、1つ目はコスト面の問題が残る。
まず、箕面市が今回の原告1名を削除するのに投じた費用は、全国一律にシステム修正をするならば不要な支出だったわけだが、果たして全国一律のシステム改修のときに戻ってくるのか?といえば、これは、箕面市が勝手をした以上、国が親切に費用を返してくれるとは考えにくい。
さらに、今回の箕面のシステム改修によって、箕面市は特殊なシステムを運用することになるが、これを全国一律の新たなシステムに再修正するには、他の自治体よりも余計に費用が発生するのは間違いない。
結果として、最高裁判所の違憲判決によって(時間の差こそあれ)同じ状況が実現されるにもかかわらず、高裁判決を確定させた箕面市の市民だけは、今回の費用のみならず次回も余計な費用を税金で負担することになる。

2つ目はシステムの不安定さの問題が残る。
コスト面と同様に、最高裁判所の違憲判決によって(時間の差こそあれ)同じ状況が実現されるにもかかわらず、箕面市だけは全国一律のシステム改修に揃うまでの間、住基ネットに賛成・反対の立場にかかわらず、原告以外の市民の情報が不安定なシステムにおかれ続けることとなる。
住基ネットの危険性を指摘していた原告の主張を、箕面だけで中途半端に実現させることにより、他のすべての市民の危険性が拡大してしまうというパラドックスだ。

(なお、これは全体の状況を十分に認識しないままに訴訟に中途半端な判断を加えた藤沢市長の問題であり、この点、原告に非がないことは念のため断っておきたい。)


結局、今回の高裁判決を箕面市が単独で確定することは、
  1. 最高裁で合憲判決が出た場合には、住基ネットと箕面市民の両方に今後ずっと続くダメージを与え
  2. 最高裁で違憲判決が出た場合には、原告1人の希望だけを早期に実現するためだけに、箕面市民全体が支出と危険を負担する
という結果しか招かない。

藤沢市長は、
「高裁判決を重く受け止め、人権を守る首長の立場で、最高裁に上告しないこととした」(朝日放送) - 12月7日20時11分更新
というが、原告の人権だけを守ると言いながら、原告以外のすべての市民の人権を脅かすとはどういうことか。
システムについては、おそらく市として最大限の配慮がされるとは思うが、それでも箕面市民だけが不安定要素を抱えるという事実には変わらない。

そもそも、住基ネット反対の立場にしてみても、最高裁判所での決着がなければ「制度全体の是正」という問題の本質的な解決は図られない。
この程度のことは、報道に接した多くの人が気づいているはずであり、箕面市の原告1人だけの希望がかなっても、なにも解決にはならないのだ。


今回の判決が、実は原告1人にしか及ばず、箕面市民ですら確定判決の恩恵を一切受けることがないこと。このことと、他の市民や将来への影響、そして、何ら問題解決がなされないということを冷静に考えれば、残念ながら、箕面市民の財産や安全に責任をもつべき首長の判断としては、あまりにいい加減に過ぎ、適切な判断などとはお世辞にも言えない。

住基ネットに賛成の市民はもちろん、住基ネットに反対の市民にも、今回の高裁判決の確定で得るものはほとんどない。そして、「検討会」に象徴されるように今後の見通しは不明瞭、判断そのものがあまりに場当たり的だ。
唯一、得るものがある立場があるとすれば、主張のかなった原告1名の平穏と、マスメディアで大いに名前を売った藤沢市長だけだ。これも多くの人が気づいているようで、実際、
マスコミに自己の存在をアピールする狙いではないか(産経新聞) - 12月7日16時36分更新
というコメントまで新聞に掲載される始末だ。


さて、最後になるが、参考までに、行政が控訴を断念し判決を確定させた異例のケースとして、小泉首相によるハンセン病訴訟の控訴断念(2001年5月23日政府発表)が記憶に新しい。
こうした「英断」と呼ばれる控訴断念のケースもあるため、今回のケースが非常に混同されやすいのだが、藤沢市長とその取り巻きがそのことを大いに取り違えていることも指摘しておきたい。

まず、ハンセン病訴訟の控訴断念のケースと、今回のケースの最大の違いは、控訴を断念したのち、事態を収拾しうる立場にあるかどうかだ。控訴断念と同時に発表された福田康夫官房長官(当時)の談話で示された政府の対応方針を紹介しよう。
  1. 今回の判決の認容額を基準として、訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者全員を対象とした新たな損失補償を立法措置により講じることとし、このための検討を早急に開始する。
  2. 名誉回復及び福祉増進のために可能な限りの措置を講じる。具体的には、患者・元患者から要望のある退所者給与金(年金)の創設、ハンセン病資料館の充実、名誉回復のための啓発事業などの施策の実現について早急に検討を進める。
  3. 患者・元患者の抱えているさまざまな問題について話し合い、問題の解決を図るための患者・元患者と政府との間の協議の場を設ける。
そう、ハンセン病のケースでは、政府は、控訴断念と同時に、訴訟への参加・不参加を問わない立法措置による全国一律の対応を方針化しているのだ。
ハンセン病訴訟も全国各地で多数提起されていた訴訟であり、控訴を断念したのは熊本地裁の1ケースにすぎない。だが、その各地の訴訟の当事者はいずれも国であり、控訴断念を判断したのが国自身であるからこそ可能な対応だ。
このケースが「英断」と呼ばれる所以は、控訴断念ではなく、むしろ「ではどうするか?」という解決策の早期明確化にあるといってもいいかもしれない。

では、今回の住基ネットのケースはどうだろうか。

まず、訴訟の当事者は地方自治体であり、その意味で、地方自治体の長は形式上は上告の可否を判断する立場にあるものの、実際には国の施策による全国一律のシステムをどうするかという裁判である以上、箕面市長は単独で事態を収拾する権限も能力もない。

唯一、「英断」となりうる場合があるとすれば、箕面市長が国と交渉し、首相や総務大臣などの是正措置をとる同意をとりつけ、(つまりは実質的に国の判断で)上告を断念するという方法くらいだ。
そんなこともせず、事態の収拾の目途もない状況で行う判断は、単なる「身勝手な判断」でしかない。ましてや、他市が粛々と最高裁の判断を仰ごうとするなかにあっては無用の混乱しか残さない。

また、今回の上告断念が、各地で行われている他の訴訟にも影響を与えるといった論調で歓迎するコメントも聞かれる。
だが、ハンセン病訴訟のケースは、熊本地裁判決の確定が全国の裁判所に影響を与えたわけではなく、すべての訴訟から当事者である国(行政)が自ら一斉に手を引いただけのことだ。こうした事例も、紛らわしい誤解要因の一つといえるだろう。
各地の裁判所がそれぞれ独立していることは、すでに各地裁の判断が分かれていることからも明らかであり、箕面の判決の確定が他の訴訟に影響を与えるということはない。裁判制度は多数決ではないのだ。

以上のとおり、非常に紛らわしい「英断」だが、藤沢市長の判断がそんなものとはほど遠いことは、まずはご本人にきちんと理解しておいてもらいたいところだ。


今回の行動には驚かざるをえないが、いくら愉快な自称「市民派」市長とはいえ、ここまで世間を騒がせ、実損を発生させるとなれば、火遊びが過ぎる。
箕面市民として、そういつまでも許容していられるものではない。
posted by 箕面仮面 at 18:23| 大阪 曇り | TrackBack(3) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月06日

「公約の進捗状況」の実態(藤沢純一市長)

一ヶ月少し前になるが、藤沢純一市長の政治組織であるプロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)「緑のまちづくり通信No.9」を配布した。

相変わらず同じ内容を繰り返しているビラで、コメントするのも疲れてしまうが、次の新しいビラが配布される前に、つっこんでおかずにはいられないところがある。気を取り直してちゃんと取り上げておこう。


今回のビラの目玉は、2ページ目にある藤沢市長の公約(?)の評価をまとめている表だ。
これは、どうやら6月に豊川北小会館で行われた「地域対話集会」での以下のやりとりに端を発しているらしい。
(市民) 市長の公約の進捗状況は、いつ頃聞かせてもらえるのか。
(市長) 今のところ出来たもの、出来ていないものいろいろあるが、8月頃には示していきたいのでもう少し時間がほしい。
この発言について、10月26日の市議会(民生常任委員会決算審議)で、民主・市民クラブの石田良美議員と藤沢純一市長の間でやり取りがあったようだ。掲示板の情報を整理すると概ねこのようになる。
石田議員:地域対話集会の市長の発言は「公的な答弁」か?
藤沢市長:公的な答弁だ
石田議員:地域対話集会で「公約の進捗状況を明らかにしてほしい」との市民からの質問に、市長は「8月までに明らかにしたい」と答えていたにもかかわらず、未だされていない。いつされるのか?
藤沢市長:ビラで公表した
石田議員:公的な回答が、なぜ私的なビラでできるのか?公私混同ではないか。それならきちんと公的手段で対応すべきでは
藤沢市長:検討する

少し本題から逸れるが、この「地域対話集会」での藤沢市長の対応についてはクレームが多い。
例えば、同日の「地域対話集会」で、市民から「100円でどこへでも行けるコミュニティバスの計画があるのか?」という質問がされ、藤沢市長が、
(市長)出来れば来年度に向けて、実験的にいくつかの路線で走らせることができないかと思っている。
と答えており、これは議事録としてホームページにも掲載されている。
ところが、この発言について、同月末(6月27日)の市議会本会議で、民主・市民クラブの林恒夫議員が「議会で発言したことと、市民向けに発言したことが全く違うではないか?」と質したところ、藤沢市長の答弁は、この発言は、
「理想としてはこのような選択肢もあるのでは。」という思いから発言したもの
にすぎないという。いくらなんでもこんないい加減な対応では、地域対話集会に参加し、質問し、話を聞いて期待した市民も浮かばれない。

前述の石田議員とのやり取りに藤沢市長自身が答えているとおり、ここでの発言は箕面市長としての公的な発言だ。そのことは、地域対話集会の開催のために税金が投入されている(だから決算審議で取り上げられる)ことからも明らかであるし、市役所職員が多数同行していることからもわかる。

まさか、箕面市長ともあろう者が、税金を使ってまるで選挙活動のような地域巡りをしていると勘ぐりたくはないが、「公」という建前からはあまりにほど遠いこうしたいい加減な発言内容では、そんなことすら疑いたくもなるところだ。


さて、気を取り直して、冒頭テーマに掲げた今回のビラの目玉である藤沢市長の公約(?)の評価をまとめている表の話に戻りたい。
前述の石田議員と藤沢市長のやり取りを、もう一度、引用しよう。
石田議員:地域対話集会の市長の発言は「公的な答弁」か?
藤沢市長:公的な答弁だ
石田議員:地域対話集会で「公約の進捗状況を明らかにしてほしい」との市民からの質問に、市長は「8月までに明らかにしたい」と答えていたにもかかわらず、未だされていない。いつされるのか?
藤沢市長:ビラで公表した
石田議員:公的な回答が、なぜ私的なビラでできるのか?公私混同ではないか。それならきちんと公的手段で対応すべきでは
藤沢市長:検討する
石田議員の「公的な回答が、なぜ私的なビラでできるのか?」という指摘についてだが、参考までに、この質疑について、藤沢市長の後援組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」の坂本洋氏のブログは、こう評している。
公式に示せ・・・ということは「もみじだより」で発表せよということか?
良識ある市民の皆さんには、このコメントが、まったく問題の所在がわかっていない見当はずれの反応だということがおわかりだろうか。石田議員が指摘している問題は、そんなことではない。

これまでも、例えば「本物だった箕面市長の手紙」で記事にしたように、藤沢市長は、議会を批判するような手紙やビラの類を配布しながら、あくまで「私文書だ」と答えるなど、公と私を都合よく使い分けてきた。
ほかにも、裁判に個人として発言をするために公用車を使ったという問題や、公務である他市町との合同防災訓練よりも私的な集会を優先したなど、事例は枚挙にいとまがない。

だが結局、こうした首尾一貫しない公・私の使い分けは、公私混同以外のなにものでもない。

つまり、今回の質疑は、最初に確認している「公である」はずの地域対話集会への対応が「私的なビラ」で行われるという「公・私のズレ」のおかしさそのものへの指摘だ。
これは藤沢純一市長の日頃からの公・私の別についての節操のなさが招いている矛盾であり、ここで正すべきと求められているのは、その行動原理そのものだ。
今回の一事象だけを捉えて「もみじだよりで発表すればよい」などというお笑い種の話ではないし、このコメントでは、まったく問題の所在を理解していないとしか言いようがない。
一事が万事、都合の悪い指摘を矮小化して曲解するのは、自称「市民派」グループの悪いクセだが、そろそろいい加減に改めていただきたい。


さて、この議員の指摘ももっともながら、このやり取りでは、実はもう一つ押さえておくべきことがある。
石田議員:地域対話集会の市長の発言は「公的な答弁」か?
藤沢市長:公的な答弁だ
石田議員:地域対話集会で「公約の進捗状況を明らかにしてほしい」との市民からの質問に、市長は「8月までに明らかにしたい」と答えていたにもかかわらず、未だされていない。いつされるのか?
藤沢市長:ビラで公表した
そう、ビラそのものの性格はどうあれ、今回のビラの内容は、藤沢市長の意図としては、公の立場である箕面市長として「公約の進捗状況」を示すために自信をもって公表したものだという点だ。

それでは、堂々と公表した箕面市長としての公約の自己評価はどうなっているだろうか。


問題の表は、「藤沢市政の評価」という表題のついたページにあり(「事務局評価」という無用な言い訳がついているのはご愛敬として目をつぶるとして)、「藤沢市長になって変わった事柄」「実現できていない課題(>_<)」の2つに分かれた形になっている。

「藤沢市長になって変わった事柄」には12個もの「◎」「○」が並び、一方、「実現できていない課題(>_<)」には「△」「×」がその半分の6個だけ並んでいる。
あたかも、「いくつかできていないことはあるものの、前に進んでいることは数多くある」といった風情だ。

それはまだいい。

では、「実現できていない課題(>_<)」の方を見ると、数は少ないものの、「ごみ有料化は白紙に」「30人学級」「止々呂美開発の見直し」と、派手に掲げた主要な課題が軒並み「×」「△」になっている。

それもまだしかたないとしよう。

だが、これらの派手な課題と同列に並んでいる、12個「藤沢市長になって変わった事柄」を眺めてみると、上記の「実現できない課題(>_<)」に比べて、あまりに小粒な項目が並ぶのが目について笑いを禁じ得ない。なかでも、
自転車の利用 ○ 自転車登庁の併用
を一つとして数えているところには大笑いせずにはいられない。

「藤沢市長になって変わった事項」を増やしたい気持ちはわかるが、もう一方と比べると、あまりにアンバランスなのは誰の目にも明白だ。
しかも、ご丁寧に“いつも”ではなく“併用”という点も笑える上に、“併用”でありながら評価が「△」ではなく「○」になっているのもなかなか笑いのツボにはまる。


大きな開発の是非や、市民全員に影響するゴミ袋有料制の是非、そういった大きな争点とまったく同列に並べて、こんなものまで同じようにカウントして良いというなら、すぐに実施できる細かい公約を大量に掲げた候補者の一人勝ちだ。

そういえば、藤沢純一市長の公約集「2004年ふじさわ“まちづくりビジョン”」には、数え切れないほどの項目が並んでいる。そういう考え方であるならば、次の選挙に出る人は、ぜひ、こんな公約を並べてみてはどうだろう。間違いなく、就任後の「公約の進捗状況」で高打率を叩き出せること請け合いだ。

・箕面市の環境維持を目指し、毎朝、家の前を掃き掃除します
・箕面市の明るい社会に向けて、毎朝、市役所の前で挨拶をします
・市役所の透明性を向上するため、毎日、日記をつけて公表します
・箕面市の地域商業の活性化を図るため、毎日、市内で昼食をとります
・地域コミュニティの円滑化のため、回覧板が来たら速やかに隣家に回します
    ・
    ・
    ・

・・・冗談はさておき、箕面市長が堂々と「公約の進捗状況」の公表だと述べたこの表、結局、考え方はこの冗談と似たりよったりだ。
どうも藤沢市長は、地方自治体の首長が果たすべき仕事を、なにか勘違いしているのではないだろうか?


さて、今回はここまでで終わりにするつもりだったのだが、ここで上述の藤沢純一市長の公約集「2004年ふじさわ“まちづくりビジョン”」を(細かくて見るのも疲れるが)改めて眺めてみて、新たな発見をしてしまった。

実は、就任以降、新聞のインタビューなどでもアピールしていた「自転車で通勤する」などという公約は、この公約集に存在していないのだ。


おかしいと思い、ビラの「藤沢市政の評価」を見返すと、「公約の進捗状況」ではなく、あくまで「藤沢市長になって変わった事項」というタイトルになっている。これは意図的な逃げの一手と考えていいだろう。
(ただし、これについては、市議会で「公約の進捗状況」を「ビラで公表した」という主旨を述べている以上、もはや言い訳には使えなくなっている。(他に該当するビラはない))

それではともう一度、ビラの表をよく見ると、項目はあくまで「自転車の利用」となっている。おそらく、これも意図的な逃げの一手と感じる。「自転車登庁の併用」をしたことだけをもって、「自転車の利用」を推進したとでも言うつもりだろうか。


それでは、この「自転車の利用」に該当しそうな公約があるのかどうか、「2004年ふじさわ“まちづくりビジョン”」の方で探してみた。
関連するのはせいぜいこの2つくらいだ。
  • 市内は坂が多いので電動自転車を普及させ、ソーラーパネルを使った充電基地を市内各所に設置します。
  • 自転車・歩行者のための道づくりをします。・・・ジョギングロード・駐輪場の大幅増。電柱の地中化を促進し、歩行者・二輪車用のスペースを確保。道路政策で一方通行・車両通行禁止道路を作ります。
どのようにしたら、この公約の評価が「○」になるというのか。
もしかすると誰も知らない別の公約集があるのかもしれないが、少なくとも現存している「2004年ふじさわ“まちづくりビジョン”」には、これ以外にそれらしきものは載っていない。


おそらく、「公約の進捗状況」を問われて、答えに窮したのだろう。
苦しいごまかしを重ね、後で「おかしい」と言われないよう二重三重に逃げの手を打つ。
それでいて謙虚さのかけらもなく評価が「○」というのは、もはや笑えないオチとでもいうのか。

今回は盛りだくさんでとても長くなってしまったが、ここまで辿り着くとさすがに呆れ果てる。
こんな表づくりに一生懸命になるくらいなら、もう少し、真面目に仕事をしていただけないものか。
posted by 箕面仮面 at 19:17| 大阪 曇り | TrackBack(0) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月02日

箕面市長のいう「二元代表制」

少し前の話になるが、アメリカの中間選挙でブッシュ大統領率いる共和党が敗北した。大統領のイラク政策への国民の判断といえるだろう。

「二元代表制」をとる米国では、国民の信託を得た大統領は、執行機関として自らの政策を進めることが国民への義務である一方、等しく国民の信託を得たもう一方の代表者である議会の状況に誠実に対応することも国民に対する責務だ。

そのことを如実に示す具体的行動として、開票の翌日、ブッシュ大統領はイラク戦争の執行責任者である国防長官を更迭した。
議会へ投影した民意を誠実に汲み取り、国民が望む政策への転換を図ったといえる。

これには考えさせられた。
日本の自治体は、同じく「二元代表制」だ。箕面市の状況はどうだろうか。


まずは豆知識として、「二元代表制」について、正確なところを理解しておこう。

沿革としては、イギリスの君主制(一元代表制)において、議員が首長を選出する仕組みの中で腐敗が生じ、アメリカにおいて「行政と政治の分断」が議論される中で生まれたのが二元代表制という制度だ。
直接選挙によって選ばれた行政執行官である首長と、同じく直接選挙によって選ばれた団体意志決定機関である議会が、お互いチェックアンドバランスを機能させることを期待した制度だ。(「世界の政治改革」(藤本一美/1992年))


さて、この「二元代表制」だが、藤沢市長は度々市議会でもこの言葉に言及している。ではいったい、自称「市民派」グループはこの言葉をどのように使っているのだろうか。
ちょうど、1ヶ月少し前に藤沢純一市長の政治組織であるプロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)が配布した「緑のまちづくり通信No.9」にはこんなことが書いてある。
二元代表制を取る自治体においては、議会の意思が大きな力を持ち、長野県や滋賀県におけるように首長の前に大きく立ちはだかることになります。箕面市議会においては自公民が鉄の結束の元、ことある毎に市長と対立、人事をはじめ公約につながる施策は一切認めないという頑なな態度を続けています。
つまりここでは、「議会が首長の前に立ちはだかる」と、あたかも議会が、首長を邪魔する壁であるかのように表現し、その理由が「二元代表制」にあると書いている。
もともと互いのチェックアンドバランスを目的としている「二元代表制」である以上、「なにを当たり前のことを」といった感もある。
だが、明らかな問題点を2つ指摘しておきたい。


まず1点目は、「二元代表制だからこの状況も仕方ない」そして「諸悪の根源は議会にある」というニュアンスにより、藤沢市長の施策が進まない言い訳として「二元代表制」を掲げ、さらに、制度が想定する役割の範囲で行動している議会を、間違った行動であるかのように説いていること。
つまり、「二元代表制」という言葉を、小手先の言い訳の表現として使おうとしていること。これは繰り返し述べてきたように(以前の記事「自称「市民派」の作文術」参照)、自称「市民派」のお家芸といってもいい。


だが、2点目は、より本質的な問題だ。
すなわち、「二元代表制」(またはその制度の下での議会)への不満を述べるのみで思考停止に陥り、本来の「二元代表制」の趣旨を忘れてしまっていることだ。

こんなちっぽけな都市と比較するのは誠に申し訳ないのだが、冒頭に書いたとおり、アメリカの大統領が二元代表性の意味をしっかりと理解し、選挙を通じて議会に反映された国民の意見を敏感に感じとり、首長として舵取りをしようとしていることを思い出してほしい。
もう一方の国民の代表である議会との衝突を避け、つつがなく安定した行政運営を目指すためには、片腕だった国防長官をも即刻クビにすることも厭わない。それこそが、有権者の意思を汲み取り、生活の安定や地域の発展を見据えた首長としての姿勢といえる。
さらにいえば、安定した議会との関係を築き、議会のなかで一定の支持を得ることが、結果として、自らの政策推進の実現の早道でもあることをよく理解しているともいえる。

それでは翻って、2年前の8月に誕生した自称「市民派」市長はどうだろうか。
市長の誕生とともに、同日に行われた市議会議員選挙では自称「市民派」議員が倍増し、自称「市民派」グループは、市民がこれまでの箕面市政を否定し、自分たちの掲げた批判を全面的に支持したと湧いた。

だが、彼らの現在は、その「余韻」にひたるだけの暮らしを続けていると評価するほかはない。
なぜなら、全体を俯瞰すれば、藤沢市長の得票数は有効投票数の35%にも満たず、有権者数からすれば約16%という状況であること(箕面市長選挙開票速報)や、市議会議員25人のうち、自称「市民派」議員は5名に過ぎず、得票数も有効投票数の約20%にすぎないこと(箕面市議会選挙開票速報)。
これらは厳然とした事実だからだ。

藤沢市長はこのことから完全に目を背けているといっていい。

本来、互いにチェックアンドバランスを機能させることが期待される「二元代表制」では、一方で選ばれた機関は、他方で選ばれた機関ときちんとコミュニケーションを取り、民意の反映に誠実であることが責務といえる。

しかしながら、藤沢市長は、議会の多数派が悪であるかのように批判を展開することに汲々とし、「多数派とどのようにコミュニケーションをとるか」という本来の仕事を完全に忘れている

念のためだが、なにも「多数」が正しいなどという陳腐なことを言っているわけではない。ただ、数に文句を言うだけで無駄に時を過ごすのではなく、その数を前提としながら、二元代表制の一方の代表としてやるべきことがあるのではないか、やるべきことを忘れているのではないかということだ。


さらに、ブッシュ大統領は、議会の勢力が逆転したことを受けて、在任中でありながら政策の転換をした。
だが、箕面市長は、途中で逆転どころか、もともと勝ってもいないにもかかわらず、まるで自らが完全に民意を得ているかのように誤解したまま、終わりのない全面対決姿勢を続けている。
これでは市民はたまらない。


20%で天下を取ったと誤認している自称「市民派」グループの無邪気さに微笑ましさも感じるが、制度を語るならしっかりと理解し、そして、日記を書く余裕があるくらいなら、ときには国際情勢にも学んでいただきたいものだ。
posted by 箕面仮面 at 00:10| 大阪 曇り | TrackBack(0) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

無防備宣言Q&Aからのぞく尻尾(箕面市平和のまち条例)

このブログを開始したのは、昨年の11月1日
早いものでついに1周年を迎えてしまった今月、相変わらずいろいろと騒がしいながらも、またも小ネタながらも笑える尻尾を見つけてしまったのでつっこんでおこう。


箕面市長をはじめ、中西とも子議員牧野直子議員増田京子議員などの自称「市民派」グループが中心となって進めている「無防備地域宣言」。当ブログでも2度にわたって危険性と無責任さを警告してきたが、ついに、今月の11月25日から、本当に署名活動を始めるようだ

この署名活動は、ときどき梅田の駅前などでランダムに集めているような署名のようなものとは異なり、法律に基づくもので、ある決められた期間内に決められた署名数を集めると、実際に、箕面市(市議会)への法的拘束力をもつという、お遊びでは済まないものだ。

(参考)
箕面市も他人事ではない「無防備地域宣言」の愚
続・箕面市の無防備地域宣言(平和条例)の愚



署名活動の準備を進めているのは、「みのお市民活動センター内」にあるという「箕面市平和のまち条例をつくる会」という団体で、そのホームページに、Q&Aが載っている。

思わず笑ってしまったのが、Q24だ。
Q24.元号の表記でなければいけないのですか。

A.「元号制」を支持している訳ではありません。法律で署名の様式まで定められているためです。本人事項である生年月日は西暦でも構いません。
ほとんど解説はいらないのではないかと思うが、まずは手始めに、そもそもQ22.署名はいつから始めるのですか。」「Q23.署名を集める方法は?」の続きで、いきなりこのこのクエスチョン(Q)が登場する不自然さに笑ってしまう。
(元号制度についての意見を問われれば人によりけりだろうが)なにかの申込み用紙に書き込むときに、いつも気にするような人がどれほどいるのだろうか。

“こうした点に非常にデリケートにならざるをえない思想的背景の人々や団体”がこの活動をやっているというのを、自ら表明しているようなものだ。


そして、アンサー(答)でも笑わせてもらえるのが、さすが愉快な市民派だ。
百歩譲って、このクエスチョン(問)が自然だったとしても、「元号の表記でなければいけないのですか。」に対する回答は、普通、

「いいえ、西暦でも構いません。」

くらいではないだろうか。
それを、回答の第一声がいきなり、
「元号制」を支持している訳ではありません。
とは・・・。

クエスチョン(問)は、「元号表記でないとダメか?」とあるだけで、そもそも誰も元号制度への支持・不支持など聞いていない。
さらに、「法律で署名の様式まで定められているためです」と、わざわざ説明(言い訳)までつける恨みがましさにも笑ってしまう。
「西暦でも構わない」という回答は、この能書きのあとにやっと出てくるのだ。


箕面の自称「市民派」が、極めて思想的背景に偏りがある気配があることは、例えば、これまでの記事、
 ・辻元清美と箕面の自称「市民派」
 ・平成7年の藤沢純一市長の写真
 ・tomoko blog
 ・無印良人?(中西とも子)

などからも想像に難くない。
そして、ついついこんなQ&Aでも尻尾が出てしまう自称「市民派」の姿にも思わず笑いが漏れる。これだから自称「市民派」ウォッチングがやめられないと言ってもいい。

だが、「続・箕面市の無防備地域宣言(平和条例)の愚」で示したような、政府(公安調査庁)が過激派組織によるものと断定している無防備地域宣言の条例化運動の中核を担っているほどだとなると、その尻尾もあまり穏やかとは言い難い。

自称「市民派」可笑しさ・面白さ、そしてそこに見え隠れする怪しさ・面妖さ、まさに「愉快な市民派たち@箕面」をお伝えしてきて早1年が過ぎてしまったが、まだまだ、良識ある市民は(楽しみながらも)気を抜いてはいけないようだ。


【参考】「箕面市平和のまち条例案」の無防備宣言
箕面市平和のまち条例をつくる会ホームページより引用)
第4条(無防備地区宣言)
箕面市は、もし、わが国が戦争の危機に陥った場合には、平和と市民の安全を希求する精神に基づく「1949年8月12日のジュネーブ条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書」(ジュネーブ条約第1追加議定書、2004年9月3日条約第12号)に則り、この第59条 に定められた「無防備地区」を宣言し、これを日本国政府および当事国に通告する。


【参考】
無防備マンをぶっ飛ばせ??大阪府箕面市の動向(12/3)
箕面市平和のまち条例 制定署名
posted by 箕面仮面 at 07:02| 大阪 曇り | TrackBack(5) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

リコール反対集会?(箕面市長の手紙2)

市内があわただしい。発足した安倍政権の行く末を占う総力戦の衆議院選挙で騒がしいのはもちろんのことだが、その隙間を縫うように、藤沢市長をはじめとする自称「市民派」グループも全く別の動機であわただしい。

以前、3月頃にも「本物だった箕面市長の手紙」で話題にあげたが、またも藤沢市長の政治組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」が、市民に対して手紙を発送したようだ。早速、インターネットに公開されている。


これによれば、自称「市民派」グループは、かなり藤沢市長のリコールに慌てているらしく、今週末には、集会まで開くとのことだ。
手紙のうち「辞職勧告?市長リコール?議会はどうなってるの?市政を語る集い」の案内にはこうある。
11月になれば“リコールなんてとんでもない!”という市民の大きな声を集める活動を展開する予定ですが、それに先だって9月議会の報告も兼ねて市政を語る集いを開催することになりました。

テーマ:
市政を語る 藤沢純一
 成果はまだまだ・・・でも
 改革に一生懸命です!
事務局から リコールをめぐる動き 他
それにしても、集会のテーマを見て、その力なさ加減に笑ってしまった。
「成果はまだまだ・・・でも改革に一生懸命です!」とはあんまりだ。必死さだけは伝わってくるが、以前のような自信に満ちた雰囲気は微塵も感じられない。
成果が上がっていないことを自分から表明した上で、それでも一生懸命だから免罪してほしいということか。

また、この集会は、いわば市長リコールに対する「反対集会」だが、そもそも「反対集会」というのは、権力的なものに対する抗議行動として行われるのが普通だ。
ところが、市長のリコール運動が現実のものとなった場合、その判断が委ねられるのは市民一人一人だ。この市民一人一人の行動に対して「反対集会」開くという感覚が、そもそも理解不能だ。

そしてなにより、藤沢純一市長だが、後ろめたいところがなく、自信のある仕事をしているならば、堂々と市民一人一人の判断を待てるはずだ
それを、必死で反対集会を画策している時点で、自ら「自分の仕事ぶりについて思い当たる節がある」と表明しているようなものだ。


さらにいえば、自民党・公明党・民主党の各系列に属する市議会議員は、はっきり言って今は衆議院議員選挙への対応で手一杯であり、おそらく、それどころであるはずがない。
それなのに、その見えない影を恐れて、自称「市民派」グループが慌てれば慌てるほど、市長リコールの動きがあたかも間近に迫っているような雰囲気を、むしろ自分たち自身で煽ってしまっているということに気づく余裕はないようだ。


それにしても、相変わらず突っ込みどころ満載な手紙だ・・・。
11月になれば“リコールなんてとんでもない!”という市民の大きな声を集める活動を展開する予定
これは、市民の大きな声を集める活動」ではなく、大きな声の市民を集める活動」の間違いだろう。はたまた「後援組織の声を集める活動」か。

ずいぶん前から指摘しているが、同じ市民として、自分たちの声だけが市民の声であるかのような勝手なことを言わないでほしい。
もう一枚の手紙の方にも「市民の力で藤沢市長が誕生しました」とあるが、こうした勝手な「市民」の使い方は、「市民」という言葉を冒涜しているのではないかとさえ思えてくる。

また、財政状況についても言及がある。
17年度は10億円以上の黒字、経常収支比率も97.2と、梶田市長時代より改善しました。
この大きな誤解を、同じ自称「市民派」の前川義人議員がホームページに書いたところ、掲示板の方で、即座に以下のような手厳しい批判がされていた。すでに先月の話だ。
「収入」には基金を取り崩したお金(基金繰り入れ)も含んでいます。つまり、予算の段階で、すでに赤字補填された「収入」を組んでおり、決算は、その赤字補填後の収支差にすぎません。この「黒字」というのは、それだけの数字です。

つまり、「面目躍如」だなんて喜んでること自体「なにもわかってません」って大声で叫んでいるようなものですし、意図的ならば「赤字隠し」と同じです。

さらに、前川議員のように、そうやって決算の黒字の意味を「黒字だ!」と誤解する(一般人ならいざしらず)議員こそが、まさに財政の悪化を促す元凶。ましてや、ホームページで嬉しそうに誤解を広めようとするなど呆れます。
1ヶ月も前に指摘されているこの「赤字隠し」には一切触れず、前川議員どころか、藤沢市長自身の後援組織がこの誤解を手紙でPRするという悪質さは、さすがに笑って済ませられるものではない。


ちなみに、「市民派市長誕生二周年記念の集いは大盛況 自公民の政治に後戻りさせないで!」と題した手紙の方には、こんなことが書いてある。
・・・何といってもトップに藤沢市長がいるわけです。根回しや談合ではなく、公開の場で議論しながら進める市政に変えるのが当然となりつつある時代です。
気になったのは文末だ。「・・・当然となりつつある」のは「時代」ゆえであって、実は、藤沢市長がなにかしたとは書いていない
さらに、その前段にはこんなことも書いてある。
市民派市長に対する期待は大きく、劇的な変化を望まれた方からすれば、この二年間は失望の度合いが強かったかもしれません。
前述の「成果はまだまだ・・・でも 改革に一生懸命です!」の部分もそうだが、今回の手紙で一貫した特徴は、実は「藤沢市長は成果があげている」と一切書いていないことだ。
これはおそらく、従来のトーンで書くと、いつも「藤沢市長がいったい何をしたのか?」と突っ込まれるからだ。

しかしながら、突っ込みを回避する戦術を優先するがために、藤沢市長がなにもしていないことを自分でしっかりアピールするという本末転倒の結果になっているのは、さすが、愉快な自称「市民派」だと笑ってしまう。


それにしても、「市政を語る集い」の案内の次にある「市長リコール署名について」という資料の露骨さには驚く。
・・・リコールが成立した場合は解職の住民投票が成立する可能性が高い。従ってリコールそのものを阻止することが肝心。

・・・皆さん方のところに「署名して欲しい」と来た場合、もし事前だと違反だし、11月1日からでも、受任者以外の人が回れば違反になります。いつ、誰が、どう言って来たかをメモしておいてください。
市長リコールに対する戦術と対策を、小さな文字で淡々とまとめたこの資料だが、極めて組織的な雰囲気が漂い、とても彼らがいつも言っている「普通の市民」を相手にした資料とは思えない。
箕面市長リコール対策

思わず、以前の記事「続・箕面市の無防備地域宣言(平和条例)の愚」の後半でも指摘した、団体組織仕込みかと疑ってしまう。


今回の往生際の悪さを見ると、箕面市民として情けなく感じる。藤沢市長にいくら後ろめたいところがあったとしても、箕面市長ならば堂々としていてほしいものだ。
いや、慌てて笑いを振りまいてこそ、愉快な自称「市民派」ではあるのだが。
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2006年10月01日

箕面市に他人事な箕面市長(その2)

9月26・27日にかけて、箕面市議会がいくつかの議案を否決したという新聞報道が出た。

それぞれの議案の個別事情は他に譲るとして、脱力したのがこれについてコメントした藤沢純一市長のメッセージだ。
些細な文章ではあるが、藤沢市長の姿勢が象徴的に表れているので、手短に触れておこう。
?? 平成18年(2006年)9月27日発 ??《No.392》

さて、一部新聞で報道されましたように、箕面市議会では、一昨日に和解案が、昨日は裁判に係わる議案が反対多数で否決され、事務の流れの軌道修正を余儀なくされています。
市長の責任で議会に提出した議案が否決されたときに、軌道修正すべきは「事務の流れ」というのが藤沢純一市長の認識のようだ。
自らの判断で議会に提出した提案が否決されたということは、修正を求められているのが「市長自身の判断」だということに気づいていないのだろうか。

また、議決に基づく執行を担当する「市長」という立場であるにも関わらず、「余儀なくされている」というイヤイヤ感が出てしまうのは、まるで立場をわきまえない子供の文章だ。
(関係ないが、「市葬イヤイヤ合唱団」を思い出してしまった)


そしてなによりも、市長メッセージとして、堂々とこうしたコメントを公開している姿勢そのものに脱力してしまう。


この「他人事」の姿勢については、以前、「箕面市に他人事な箕面市長(藤沢純一市長)」でも触れた。
だが、就任から2年を超えた現在でもなお、藤沢純一市長は、どうしても箕面市の動きを「他人事」という視点で捉えるクセがなおらないようだ。
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2006年09月14日

箕面市長がビラジャックする箕面市HP

いくつかの話が同時に持ち上がっている。

つい先日の箕面市議会でも取り上げられた模様だが、豪雨で警報が発せられた際、箕面市長が箕面市を放り出して北海道へ視察旅行にでかけた問題については、こちら(箕面の災害よりも大切な北海道出張)をご覧いただきたい。
また、密かに準備がはじまっているという、無防備地域宣言条例(平和条例)については、こちら(続・箕面市の無防備地域宣言(平和条例)の愚)をご一読いただきたい。

そんな話題豊富な最中ではあるが、さりとて見落とすわけにはいかないことがあったので、つっこんでおきたい。なにかといえば、昨日(9月13日)の市長メッセージのことだ。

昨日(9月13日)の市長メッセージは、なんとグラフ付きだった。

だが、データを示す際の常識である出典の記載もない上、人にちゃんと見てもらおうという気合いが微塵も感じられない小さく縮小されたグラフ(印象を植え付けるだけが目的ではないかとすら訝しく思う)を目にして、「まさか市役所ホームページの一部である市長メッセージまでビラになったわけではあるまい?」と思ったが、内容を改めて見るとやはり見栄えに違わずビラだったので、気が滅入りそうになってしまった。

市役所のホームページである以上、箕面市の公式見解・公式資料と受け止めるべきものだが、あまりにもどうかと思う内容だ。いくら愉快な市民派とはいえ、公的機関のホームページを個人の意向だけで乗っ取るのことはいただけない。問題の部分を指摘しておこう。

グラフとその説明はこの部分だ。
箕面市長メッセージのグラフ
縮小されて文字も読めないグラフ(原寸)
昨日は、教育委員さんと意見交換をしました。(中略)私からは、今の箕面市の公教育の現状を、グラフを示してお話をし、意見交換をしました。箕面では、公立の中学校に進学する子どもが、かつては100%近くあったのですが、現在では、80%程度になっています。つまり20%の子どもたちは、私学などに通学しており、ここ10年でその傾向は顕著になっています。
教育委員からは、その理由として、保護者の価値観の変化によるものではないか等の意見も出されましたが、この事実をどのように受け止めるのかも、教育を巡る1つの課題と言えます。
まず、前段は、私学に通う中学生が急速に増えている(公立に通う中学生が急速に減っている)というグラフの解説だが、続く後段で真っ先に気づくのは、グラフについて教育委員の発言だけを「意見」として紹介し、箕面市長自身の意見をまったく示さないという、自称「市民派」らしく堂々たるアンフェアな姿勢だ。

さらに、紹介された教育委員の「意見」は、「・・・等の意見も出されました」と逆接で締められており、決して肯定的ではなく、否定的なニュアンスで紹介されている点も無視できない。

それだけではない。

結論部分は、深く考えずに読むと、修飾語やグラフに目を奪われて「この事実(=「私学へ通う中学生の増加」)」「課題」だと言っているように読み流してしまいそうになるが、よく読めば、「課題」だと言っているのは、「この事実(=公立中学への進学率の低下)」ではなく、「どのように受け止めるのか」の方だ

正確には、「受け止めるのか」とがついていることからわかるように、「(前段落で示した事実も課題ではあるが、実は)受け止め方そのものも課題なのだ」という、むしろ「受け止め方の方に問題がある」と言わんばかりの結論となっている。

そして、この「受け止め方が課題と言える」という帰結は、前の逆接(否定形)に続いて導き出されているため、なぜ「課題と言える」か根拠を示す事例として教育委員の発言があげられているということになる。

つまり、この文章、修飾語などを抜き、省略されている部分を補足すれば、こう要約される。

  • 教育委員のこういう「意見」があるが、正しいと思わない
    (=教育委員からは・・・等の意見も出されましたが)
  • 公立への進学が減った事実もさることながら、むしろ、それについての考え方そのものが
    (=この事実をどのように受け止めるのかも)
  • 問題だ
    (=教育を巡る1つの課題と言えます)

要するにこの市長メッセージは、丁寧に読み解けば、自分の意見をまったく示さず、教育委員の「意見」だけを紹介して、その考え方が問題だと一方的に論評(批判)しているに等しい

そもそも、なぜわざわざグラフ(データ)を示しているのか。
グラフを巡って、人の発言も紹介しつつ、自分の主張も展開するという建設的な話ならまだしも、結局ここでは、グラフは人に喋らせる呼び水にしか使われていない
ここでしていることは、人の発言をさらして、自分の考えも書かずに、他人行儀に論評(批判)して暗に否定することのみであり、グラフについての論評は一切されていない。
現実解を示さず、批判を煽るのみで、データもそのためだけに使う。まさに自称「市民派」のビラそのものといっていい。

果たして、このグラフと文章、箕面市という行政機関の見解としてホームページに載せてよいものなのだろうか。


そして最後にもう一つだけ指摘しておこう。


ここまでのような解説をすると、おそらく、「行政のホームページとはいえ、問題提起をするのは良いことではないか」と主張する人がいるのではないかと思う。だが、良識ある市民は、そんな主張を耳にしたら、笑ってこう答えなければならない・・・「そもそもこのグラフ、問題提起にすらなってないやん」と。

なぜなら、それは、他の比較材料がまったく示されていないからだ。

示されているのは事実経過のみであり、それだけでは対応策を練る前提となる「原因の特定」をしようがないのだ。さらにいえば、まったく比較材料のない事実経過だけでは、その経過が問題かどうかすら判断することができない。
すぐに思いつくだけでも、他の市区町村、近畿の平均、全国の平均、住宅都市の平均、都心部の平均など、比較材料があってこそ、なぜ箕面がそうなっているのかという原因について仮説を立てることができる。そして、根拠ある仮説と対応策こそが、世の中では「意見」と呼ばれるものだ。

原因の特定もなく立てられた対策ほど無駄で迷惑なものはない。

この経過のグラフだけを見て述べることができるのは、せいぜい「感想」にすぎない。単なる「感想」と「意見」は違う。
「意見」を求めるならば、求める側が他の比較材料を十分に用意しておくか、事前にこのグラフを送って先方に材料を収集して「意見」をまとめる時間を与えるか、どちらかでなくてはならない。
つまり、いきなりこのグラフだけを見せて「意見交換」しようということ自体に無理があるのだ。

もし、「意見」を求めることに無理があるということを承知で、「意見交換」を求めたとすれば、そして、出てきた発言をわざわざ市役所HPで紹介して否定してみせるならば、それは極めて悪意を感じる行為だ。
一方、単なる「感想」を「意見」だと勘違いして「意見交換しましょう」などと言っているようなら、日頃そういう人が「意見」だと主張していることすべては単なる「感想」レベルにすぎないと考えた方がいい。そして、理性的に原因を特定することもなく、感想に基づいて市政が動き、無駄で迷惑な対策に税金が投入されるという結果になる。

自らの行動が、自分の悪意か無知のどちらかの表明になってしまっていることに、まったく気づいていないという、自称「市民派」グループの愉快さたるゆえんではあるが、悪意にせよ無知にせよ、そんな場面で引き合いに出された教育委員には甚だ失礼な話だ。

箕面市長には、まさに自らの行動そのものが「教育を巡る1つの課題」と言えるということを、真っ先に理解していただきたい。
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2006年09月10日

続・箕面市の無防備地域宣言(平和条例)の愚

昨年11月、「箕面市も他人事ではない「無防備地域宣言」の愚」として、箕面市長をはじめとする自称「市民派」グループが熱心に推進する「無防備地域宣言」の危険性と無責任さについて警告したが、どうやらまったく懲りていないようだ。なんと最近では、自称「市民派」グループが箕面でも条例制定に向けた署名運動を開始するなどという話まで聞こえてきている。

以前も書いたとおり、箕面市長自身が「無防備地域宣言」の条例化を希求する自称「市民派」グループの一員という異常な状況では、この危険は決して他人事ではすまされない。
この「無防備地域宣言」の条例化運動、つまり、自治体としてジュネーブ条約に基づく「無防備地区宣言」をする条例をつくるという運動だが、各地で五月雨式に発生しているため、少し検索すると情報がいくらでも出てくる
これらを拝借させていただきながら前回記事の補足事項も含めて改めてこの活動にツッコミを入れておこう。

なお、最近では「無防備」という特徴的な単語を隠すためか、「平和条例」「平和都市条例」「平和地域条例」といった名称が登場しているものの、すべては同じ話であることを最初に断っておく。

(参考)ジュネーブ条約追加議定書(外務省サイト:日本語)


さて、まずは、以前の記事「箕面市も他人事ではない「無防備地域宣言」の愚」を先に読んでいただきたいが、そこでも書いたとおり、無防備地域宣言の推進派PRや宣伝文では、宣言の根拠であるジュネーブ条約の第59条の1項と2項のa??dだけを引用しており、実は、2項「本文」が(おそらく意図的に)抜けている
抜けている条文は以下のとおりだ。
紛争当事者の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近はその中にある居住地区であって敵対する紛争当事者による占領に対して開放されるものを、無防備地区として宣言することができる。
これを読んで理解できない人の方が少ないと思うが、無防備地区を宣言することのできる前提状況は、「敵軍と接触した紛争状態にあること」であり、宣言の結果として「当該地域は敵軍に占領される」こととなる。

そう、「無防備宣言」とは戦争の最中に行う降伏宣言の一種であり、古くからある「無血開城宣言」のことだ。つまり、敵軍に占領されることを条件とする代わりに、武力攻撃しないという約束を求めるものなのだ。
紛争状態でもない日本の自治体がするものでもないし、仮にしたとして、決して戦争と無縁の状態になるものでもなければ、これを現実に我々市民の身に降りかかることとして考えると、むしろ極めて危険度の高い宣言であることが、これだけでもわかるだろうか。


さらに、ここからは前回記事に追加するいくつかの補足情報を紹介しよう。

まず、無防備地域を宣言する前提となる紛争状態についてだが、無防備地域宣言の推進派のなかには、日本はミサイルの脅威にさらされているので、地方自治体も「軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区」にあたるという奇妙な説を唱える人までいるようだ。

だが、軍隊の「接触」(contact)状況については、同条約にこんな定義がある。
「接触地帯」(contact zone)とは、敵対する軍隊の前線部隊が相互に接触している地域、特に前線部隊が地上からの直接の砲火にさらされている地域をいう。
何を書いても都合良く解釈しようとする人がいるので、丁寧に解説しておくが、「地上からの直接の砲火(direct fire from the ground)」とわざわざ限定的に書いているのは、「間接射撃(indirect fire)」を含まないことを明示するためだ。
したがって、ミサイルを含まないことは明白であり、もちろんこの調査不足なだけの奇妙な説は、単に笑いを誘うだけで終わっている。


次に、この無防備地域宣言の推進派は、そもそも「この宣言は地方公共団体が闇雲にできる類のものではない」という根本的な問題から目を背けようとしていることも指摘しておく。

この説明をする前に、赤十字国際委員会(ICRC:International Committee of the Red Cross)」(ホームページについて解説しておく必要がある。
「赤十字国際委員会」は、ジュネーブ条約のそもそもの提唱者(提唱組織)であり、条約のなかにもその名前が明示的に登場し、条約上の位置づけを与えられた機関だ。
例えば、ジュネーブ条約改正の手続を定めている97条には、
いずれの締約国も、この議定書の改正を提案することができる。改正案は、寄託者に通知されるものとし、寄託者は、すべての締約国及び赤十字国際委員会と協議した後、当該改正案を検討するために会議を招集すべきか否かを決定する。
とあり、改正手続を開始する際にも赤十字国際委員会の了解を得ることが前提とされている。また、追加議定書だけを見ても、このほかに13回「赤十字国際委員会」の名前が登場する。
どういうことかと言えば、「赤十字国際委員会」が提唱したジュネーブ条約そのものが、いわば「赤十字国際委員会」が用意したテーブルであり、その上で、多くの締結国が握手をしている状態と言えばわかりやすいだろうか。つまり、「赤十字国際委員会」は、ジュネーブ条約が締結国によって適正に履行されることを監視するいわば「条約の番人」といった位置づけなのだ。
(ジュネーブ条約の制定経過については外務省のパンフレットがわかりやすい)


実は、その「赤十字国際委員会」が、「Commentary」(解説)として、ジュネーブ条約の公式解説集(英語)を公表している
つまり、この公式解説集から外れた運用は無効または条約違反となるわけだが、そのなかに、宣言の主体について重要な指摘がある。
「宣言の主体は誰でなければならないか」

解説2283 原則として、宣言の諸条件の履行を確実に実現することのできる当局(権限をもつ機関)によって宣言されることが必要です。一般的に、これは政府そのものでしょう、ただし、難しい状況においては、地方軍の指揮官や市長や知事などの地方当局から宣言が発せられることもありえます。もちろん、もし宣言を地方当局から発しようとする場合には、宣言の諸条件が履行されることを確実に実現する手段を単独で有する軍事当局との全面的な合意がされていなければなりません。
これを読めば、軍事当局(日本の場合には自衛隊)との全面的な合意がなければ、地方自治体が宣言することができないことは、誰にでもわかる。

ところが、無防備地域宣言の推進派は、この解説をもって「(政府だけではなく)地方自治体が無防備地域宣言できることを、赤十字国際委員会が示している」と説明し、(そもそも不可能な自衛隊との合意には一切触れず)条例化運動の正当性のアピール材料としている。
なりふり構わぬポジティブシンキング(前向き思考)には敬意を表するが、この無茶苦茶ぶりは、良識ある市民にとってはお笑い種以外のなにものでもないだろう。


さらに、通常であれば反論のしようがないこの解説に対し、無防備地域宣言の推進派は、ここでいう「軍事当局(the military authorities)」についてこんな珍説まで持ち出している模様だ。
生方卓 2005/8/8 19:24 (Mon)
次にthe military authorities の問題ですが、この追加議定書は、the military authorities を持っていない国もありえるということを想定しておりません。日本は憲法上はthe military authoritiesを持っていないのですから、宣言のために「軍事当局の了解」を不必要とするのではないでしょうか?
明治大学政治経済学部助教授 生方卓の公開掲示板より)
つまり、日本に軍隊はないので、地方自治体が宣言しようとする際に「軍事当局と合意する必要はない」というのだ・・・。このご都合主義の珍説には呆れてしまう。

まず、自衛隊は、その英語表記「Self Defence Force」のとおり、もちろん国際的には軍隊として扱われていることを、社会常識として知っておくべきだろう。(ちなみに、仮に憲法が改正されて「自衛軍」となっても英語表記は「Self Defence Force」のままだろう。)

また、仮にそれを知らなかったとしても、この手のグループのいつもの主張は「自衛隊は軍隊だ」(憲法9条に違反する自衛隊反対)ではなかったのだろうか?思いっきり自己矛盾に陥っているではないか・・・。
もともと無理のある主張を正当化しようとすればするほど、こうして矛盾と歪みが大きくなり、かつ、笑われる材料として風船のように膨らんでいっていくことの典型例だ。

余談だが、これは箕面の自称「市民派」議員に起こっていることと同じだ。少数野党として奔放な(だが非現実的な)論を展開しているうちはよかったが、市長として政権をとってしまい、発言の影響力が大きくなるにつれ、その矛盾や歪みも拡大し続けている。


気を取り直して珍説から話を戻すが、赤十字委員会の解説のとおり、紛争状態でもなければ軍事当局との合意もない日本の地方自治体が、宣言条例を制定することそのものに無理があるのは明白だ。

それでも推進派は「平和へのアピールに意味がある」という。

ただのアピールだけのために、発効すれば万が一、どこからか攻撃があった瞬間、自動的に箕面を占領地として差し出すことになる危険な条例を制定しようというのか。
しかも、純粋に政治に携わらない個人がアピールしたいだけならまだしも、その運動を、住民の生命と財産を守る立場にいる箕面市長や議員が推進しているのだから、これはもはや理解不能な領域に入ってしまっている。


さて、そんな無理を通してでも運動を進めたい箕面市長や自称「市民派」グループの議員にとって、致命的な公表資料があるので最後に紹介しておこう。

法務省の外局である公安調査庁が、白書に準じる年間報告書として毎年定期的に国内・国外の公安動向をまとめて公表している「内外情勢の回顧と展望」というものがある。

この最新版である「内外情勢の回顧と展望 ??核・テロの脅威及び複雑化する国際情勢と日本??」(平成18年1月)は、「第3 平成17年の国内情勢」で、オウム真理教をはじめとする過激派組織の動向をまとめて解説しているのだが、このなかに、「3(3)市民層への浸透に力を注いだ過激派」という非常に興味深い部分がある。
(3)市民層への浸透に力を注いだ過激派
 ―党派色を秘匿しての労働者の取り込みや,イラク反戦運動などを通じた市民の結集を目指す―

過激派は,暴力革命路線を堅持しつつも,共産主義の退潮傾向の中で,組織建設最優先の方針に基づき,多くのセクトが党派色を隠ぺいしながら労働運動や市民運動に浸透・介入を図るなどして影響力拡大の取組に力を傾注した。

(「中核派」「解放派や革マル派」の記述は省略)

〈MDSは,イラク民主化勢力支援や「無防備地区宣言」運動を通じて,市民を結集〉
 社会主義社会の実現を標榜する「民主主義的社会主義運動」(MDS)は,イラクの「民主化勢力」代表を招いて反戦集会を開催するなど,独自の存在感を示した。特に,MDSが進めるイラク反戦運動では,市民層の結集を図る受け皿として,各地に「イラク市民レジスタンス連帯委員会」を立ち上げ,イラク市民の戦争被害などを紹介する各種イベントを実施して,同連帯委員会の会員拡大に努めた。
 また,MDSは,政府の有事体制づくりに反対する運動として,ジュネーヴ諸条約追加議定書を根拠に,「無防備地区宣言」条例の制定運動に取り組み,東京・荒川区など8自治体の住民らで運動体を組織し,それぞれ条例制定の直接請求に必要な法定数を超える署名を集めた。さらに,MDSは,各地の運動体で構成する全国ネットワークが,著名人らを呼び掛け人として運動推進を呼び掛ける「1,000人アピール」への賛同人集約や学習会に取り組むなど運動の伝播に努める中,運動に協力した市民に,傘下団体の集会への参加を呼び掛けたり,機関紙の購読や組織への加盟を働き掛けた。
 MDSは,今後も,イラク「民主化勢力」への支援運動と「無防備地区宣言」運動を活動の柱に据え,市民の結集に努めていくものとみられる。
そう、「市民層への浸透に力を注いだ過激派」の一つである「民主主義的社会主義運動」(MDS)なる組織があり、無防備地域宣言の条例化運動は、このMDSという過激派組織が起こして伝播を進めているものだと、政府の調査機関である公安調査庁が公式見解を出しているのだ。

知らずに参加している人もいるかもしれないが、ここまで明瞭に書かれている以上、少なくとも積極的に活動を展開している人々は、こうした組織の人間か、そうでなくともこれを十分承知の上でやっていると疑わざるをえない。
箕面では、箕面市長や自称「市民派」議員が極めて熱心に活動を展開しているわけだが、これを読んで、彼らが単に「無知」なだけであってほしいと切に願ってしまうのは、果たして筆者だけだろうか。

だが、その願いを裏切るように、箕面市長と同じ自称「市民派」グループの中西とも子議員牧野直子議員(平和部会)のそれぞれのホームページではこんな会合が告知されている。
2006年9月10日(日)14:00から(グリーンホール2階)
澤野義一さん講演集会「平和条例ってなあに?」
主催:箕面平和のまち条例をつくる会学習会
参加費:500円
掲示板によれば、当日は、中西智子議員牧野直子議員とともに、増田京子議員も集会を取り仕切っていた模様だ。

ここで講演している「澤野義一」という人物を検索してみると、産経新聞社の雑誌「正論」の記事が見つかった。
「無防備地域宣言」を実現するために、「MDS」が開催する全国各地の集会で講演しているのは、大阪経済法科大学教授の澤野義一である。澤野が所属する大学は北朝鮮との密接な関係も指摘されており、テレビなどで北寄りの発言を繰り返している吉田康彦も彼の同僚だ。吉田は平成十四年九月十七日に小泉純一郎首相が平壌を訪問して金正日が日本人拉致を認める前に、北朝鮮サイドから「拉致を認め、生きている人を返したら、日本はどう反応するかについての間接的な打診があった」と“自白”している人物である(本誌二〇〇三年九月号「北朝鮮は小泉訪朝前に拉致を認めていた」)。日本労働党の御用文化人となった竹岡勝美(元防衛庁官房長!)の『戦なきは武人の本懐』という本を出版したのも、この大学の出版部である。澤野が集会で好んで使うフレーズは(「備えあれば憂いなし」ではなく)「備えなければうれしいな」であるという。語るに落ちた、とはこのことだ。
またも登場するのは政府認定の過激派組織「MDS」(民主主義的社会主義運動)だ・・・。

箕面市長や自称「市民派」グループが、単なる「無知」ではなく、公安調査庁が公式見解で「過激派」と認定する組織の片棒を担いでいるとすれば、さすがに良識ある箕面市民は笑って済ませられる話ではない。
藤沢純一市長と自称「市民派」議員は、いったい箕面をどこへ連れていこうとしているのだろうか。


(参考)周辺情報をさらに得たい方は、以前の記事「辻元清美と箕面の自称「市民派」」も参照されたい。

(追記)ブログ「メタモルフォーゼ・ニッポン」(無防備条例:堺市、箕面市、目黒区、向日市・・・あなたの地元は大丈夫?)で、今年5月に「箕面市平和条例制定をめざす会」が出来たことが「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」会報のページ(7号)に掲載されているのを発見してくれています。
posted by 箕面仮面 at 23:40| 大阪 曇り | TrackBack(7) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

「財政危機は歴代市政のツケ」と騙る箕面市長の現実

8月に入って半月が経過してしまった。
前回の記事「箕面の災害よりも大切な北海道出張」では時事ネタを優先させたが、予告したとおり今回は、せっかく藤沢純一市長の政治組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」が出してくれたビラ「緑のまちづくり通信」の7月号(No.8)を読んでみることにしよう。

まず、今回のビラの特徴として目立つのが、冒頭に大きく踊るタイトルだ。
財政危機は歴代市政のツケ
この冒頭のタイトルを見てすぐに思い出したのは、実は、2月頃に藤沢市長の施政・予算編成方針について書いた当ブログ記事「ビラか、施政・予算編成方針か」だ。

記事をそのままもう一度ここに引用しよう。
そもそも、この施政・予算編成方針だが、箕面市の50周年を祝う年にありながら、いきなり冒頭が過去に対する批判からはじまっているあたり、さすが自称「市民派」の真骨頂だ。
マグロが泳ぎ続けていなければ死んでしまうように(参考:国土交通省 東北地方整備局 福島河川国道事務所「お魚だより」)、批判し続けていなければ生きてはいけないらしい。
(施政・予算編成方針の冒頭部分)
・・・公共サービスの提供体制を整備してきましたが、大多数の自治体がそうであったように、時代の変化を十分読み切ることができず、現在の財政上の負担ともなっています。
そう、当ブログは、藤沢市長の施政・予算編成方針の構成がまるでビラのようだと指摘していたのだが、今回のビラ「緑のまちづくり通信」の7月号(No.8)が本当にそれを踏襲していたため、思わず笑ってしまった。

というのは、施政・予算編成方針に上品な表現で記していたこの冒頭部分
・・・公共サービスの提供体制を整備してきましたが、大多数の自治体がそうであったように、時代の変化を十分読み切ることができず、現在の財政上の負担ともなっています。
を、アジビラ(アジテーション・ビラ=宣伝びら・扇動びら)に相応しいキャッチフレーズにするとどうなるだろうか。そう、一言で翻訳すると、確かに、
財政危機は歴代市政のツケ
だ。このあたりの標語作成センスは、さすがは自称「市民派」だ。
普通、真面目に内容をしっかり反映したキャッチフレーズを作ろうとすると、ここまで乱暴端的な翻訳というのは理性が邪魔をしてやりにくいものだが、なかなか秀逸なキーワードに仕上がっている。

だが、これについては、掲示板の方でも、「市長という立場」についての大いなる勘違いだといった批判がされている。まさにその通りだ、該当部分を引用しておこう。
首長が変わったから、それまでの首長のしたことには責任をとらないというわけにはいかないはず。
新社長が、過去の自社製品に欠陥がみつかったとして、前社長の責任だと涼しい顔をするわけにはいかないのと同じ。
歴代市長の欠陥をあげつらうのではなく、これからどうする、に賭けなければいけないのだろう?
そう、箕面市長という立場は、過去と現在と未来の箕面市を背負っている。ビラの1ページ目に、大きなタイトルとして堂々と「財政危機は歴代市政のツケ」と書くことが、何も解決策を示していないだけでなく、それどころか市長職に対する自らの認識の甘さを露呈する結果となっていることに、藤沢純一市長は気づいているのだろうか。


さて、1行目のタイトルだけで長くなってしまったが、気を取り直して本文だ。
今回のビラ全4ページのうち、実は、目新しいことを書いているのは1ページ目だけで、残りの3ページについては、正直、ネタが枯渇しているとしか感じられない。

自称「市民派」のネタが枯渇すると、こちらもツッコミどころに枯渇して困るのだが、特にこの2??3ページ目の枯渇ぶりはひどい。
藤沢純一市長が候補者だった時代からビラで使っている「基金と市債の変遷グラフ」「競艇事業収入の変遷グラフ」と、ただの公共施設の写真6枚基金の取り崩し表で紙面を埋め、残りはどこかで読んだフレーズの使い回しばかりだ。

また、4ページ目は、お得意の筆者を匿名にした投稿で半分が埋められており、残りの半分は、以前の記事「コスタリカは理想郷か?」で触れたSFに終わっている。

仕方ないので、ここでは、目新しい数字のトリックが使われている1ページ目を中心に、笑えるところをつっこもうと思う。

ではひとまず、細かい表と文字が混在する1ページ目のなかで、大きな文字で書かれているコメント部分を、矢印の順を追って抜粋してみよう。
  1. 36億円も基金を取り崩したのはけしからん!放漫経営だというけれど
  2. 26億円は以前から計画されていた事業やどうしても必要な予算で、自公民も手をつけなかった予算です
  3. 用途が自由な財政調整基金は10億円、その使い道も(表省略)など中止のできない事業ばかりで、もちろん自公民も認めています。
  4. 藤沢市長が提案した予算は、学校への扇風機72万円や30人学級、コミュニティー交通検討の32万円までことごとく削除。そこまでしても1億6千万・・・36億にははるか届きません。
ところで、基金とは、要するに貯金のことだ。
さて、例として、箕面純一くんという架空の人物が、月収20万円でありながら、ルーズに月25万円で生活しているとする。なお、5万円は貯金を崩しながら生活している
それではこの生活態度を改めようとするとき、貯金からおろした5万円を直接何に支払ったか、つまり「家賃を払わなければならなかった」「食費に必要だった」など、貯金からおろしたお金だけについて、その使い途の正しさをくどくど説明することに果たして本質的な意味があるだろうか。

良識ある市民の方は、これだけでわかったことだろう。

箕面純一くんの生活態度で問題なのは、20万円の収入なのに25万円で生活しているという点にある。これを改めるには、「5万円が何に支払われたか」ではなく、「なぜ25万円にまで出費が積み上がってしまったか(なぜ給料20万円で足りなかったのか)」を考えなければ意味がない。
つまり、5万円だけではなく、そもそもの給料20万円は何に使ってしまったのか、25万円全体の使い途や、日頃のお金の使い方(財布のヒモ)を改めようとしなければ、なんの問題の解決にもならないのだ。

そう、「貯金からおろした5万円がいかに正しいことに使われたか」を一生懸命主張することは、給料20万円で足りなかったことについてなんの言い訳にもならない。(もし言い訳をするならば、「25万円が隅々まですべて重要なことに使われている(だから今月5万円おろすのは仕方なかった)」との説明でなければならない。)
そもそも20万円で生活できていれば、貯金など崩す必要はない。その状態に向けて、少しでも赤字幅を減らすよう、努力していくことが重要なのであり、そうではなく、赤字であることを当然のように考え、その支払い先の正当性だけを主張するような勘違いは、「必要性があるならもっともっと貯金をおろしてもよい」といった本末転倒な議論の入り口ですらある。

ここで、この箕面純一くんの生活に例えて、上記のビラが一体どういうことを書いているか、もう少し補足してわかりやすくしながら書き直してみよう。

  1. 箕面純一くんが、(給料の20万円では足らずに)5万円も貯金をおろしたのはけしからん!浪費家だ」というけれど
  2. 給料20万円をどう使ったかは別として、貯金からおろした5万円のうち)3万円は以前から予定していた買い物やどうしても必要な生活費に使っただけで、お母さんも何も言わなかった部分です
  3. 給料20万円をどう使ったかは別として、貯金からおろした5万円のうち)残りの2万円は(表省略)などやめられない出費ばかりで、もちろんお母さんも認めています
  4. そんな箕面純一くんに対して、お母さんが(実は給料20万円のなかから出費していたゲームあめ玉までことごとく禁止した!そこまでしてもどうせ5000円くらいのもの・・・5万円(の赤字を埋める)にははるかに届きません。
「節約して出費を減らしなさい」というお母さんに対して、箕面純一くん側の言い分にまったく理がなく、かみ合っていないことがおわかりだろうか。
お母さんは、25万円全体を眺めて「少しでも赤字を減らしなさい」と節約を命じている。一方、箕面純一くんは、給料20万円の使い途には一切触れず、貯金からおろした5万円の使途は正しかったとしか言っていない。

話を元に戻そう。

今回の市議会からの予算修正は、このビラの表にあるとおり、大きいものは1億円規模の予算削除から、細かくは6万円の人件費(派遣)の削除まで、まさに「節約」といった内容だ。
予算全体を対象としたこの市議会の主張に対して、今回のビラは、基金を取り崩した36億円の部分だけを詳細な表にして紙面を埋め、その基金の使途が正しいとしか言っていない。
これがなんの答えにもなっていないことは、箕面純一くんの例を見ればわかるはずだ。

予算総額がいくらかすら書かずに、小さな字で小難しい行政調の単語と億円単位の金額で埋まった表を並べたてておけば、すれ違いの反論であっても市民を誤魔化せると思ったのだろうか。
もっと言えば、そういう小難しい単語と表を敢えて載せてみせ、これをわかりやすく順を追って解き明かしているふりをすれば、市民は信じるに違いないと思ったのだろうか。
わざわざ扇風機のイラストを載せるあたりの涙ぐましい努力には笑いを禁じ得ないものの、こうして「扇風機まで削除された」と印象づける手法は、いつもの自称「市民派」のお家芸だ。


ちなみに、扇風機については掲示板でも話題にあがっていたので、ここで紹介しておきたい。

一部では、市議会が藤沢純一市長の予算を意地悪で認めない象徴のように言われることもある「小中学校への扇風機購入 72万円」だが、ここで藤沢純一市長が想定していた扇風機というのは、どうやら実は、数千円の家庭用の扇風機(一説には単価が2500円程度)だったようだ。
72万円という予算から逆算すれば、1校あたり何十部屋も教室がある学校で、複数校に扇風機を配備するということは、数千円の単価の扇風機でしかないということは、考えてみればその通りだ。

さらに冷静に考えてみて、20人以上の子供が入るあれだけ広い小中学校の教室に、家庭用扇風機がどれほどの役に立つのか、また、業務用ではなく耐久性がほとんど考慮されていない扇風機が何年もつのか。

結局、実態を聞いてみれば、「安物買いの銭失い」になる家庭用扇風機を、本当に小中学校側が必要とはしているはずもなく、市議会が予算から削除したというのが真相のようだ。

「小中学校に扇風機を配備しようとした」と主張するそのお粗末な内容も、「それを議会に止められた」という主張も、まるでサッカーの下手な怪我アピールのように、浅薄で見栄えだけのパフォーマンスであることが情けない。

そこで笑ったのが改めて今回のビラだ。

載っている扇風機の写真をよくよく見ると、なんと、芸が細かいことにクリップ式の小さな卓上扇風機だった。
藤沢市長の家庭用扇風機

こんなディテールにまで手を抜かず、しっかり笑いを提供してくれる、さすが自称「市民派」ご本家のビラ・・・いや、失礼、さすがは自称「元祖市民派」のビラだ。
今回のビラ(2ページ目)によると、藤沢純一市長は自称「元祖市民派」なのだそうだ。それは大変失礼した。
同じ自称「市民派」にも、ただの「市民派」やら、「本格市民派」やら、「元祖市民派」やら、いろいろと勢力争いがあるようでなかなか大変そうだ。

ひとしきり笑わせていただいたところではあるが、結局、今回のビラはなにも答えていないことになる。
これまで超党派の「箕面再生」や、民主・市民クラブのパンフレットでされてきた数々の指摘について、そろそろ藤沢純一市長自称「市民派」議員も、ごまかしは控えて、少しは真面目に説明していただきたいものだ。
posted by 箕面仮面 at 06:18| 大阪 曇り | TrackBack(1) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月31日

箕面の災害よりも大切な北海道出張

藤沢純一市長の政治組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」のビラ「緑のまちづくり通信」の7月号(No.8)が配布されている。

今回の「緑のまちづくり通信」も、1ページ目だけは数字を使った新しいトリック(基金だけの内訳を載せて目を逸らしているが、実は、本論である予算全体の内容をまったく論じていない)を使っているものの、2・3ページは選挙活動時のビラから変わらないグラフと精神論、4ページ目は相変わらず匿名投稿を交えて他国の数字を引いただけのSFに終わってしまっている。

相変わらず中身の薄い自称「市民派」のせっかくのビラだが、今回は時事ネタがあるので、7月号は後回しにして、別の記事でツッコミを入れようと思う。


さて、時事ネタというのはほかでもない、先日、長野県や九州地方で大きな被害を出した大雨の話だ。
山間地域を抱える箕面でも、大雨洪水警報が発せられ、災害対策本部が設置され、避難基準雨量を超えた止々呂美では避難所も開設された
ところがそんな緊迫した事態の最中、しかも状況が悪化する途上で、藤沢純一市長は北海道へと旅立ってしまったというのだ。

この件については、掲示板の方で情報や論評がされているので、ここではそれらを拝借しながら進めたい。

さて、まずは時系列を追って整理するとこうなる。

  • 19日未明、止々呂美地区において避難基準雨量(170mm)が観測され、午前4時頃、市役所で、藤沢純一市長不在のまま、職員のみで災害対策本部が設置された。
  • 筆者の確認によれば、その後、午前6時42分頃、大雨洪水警報が発せられている(気象庁が、北大阪地域について、それまでの「大雨洪水注意報」から「大雨洪水警報」レベルへ格上げをした)。
  • 警報への格上げから間もない午前7時30分頃藤沢純一市長は、自宅から大阪空港へ車で向かう途中で市役所に立ち寄っただけで、そのまま北海道へ出発した。

なお、このすぐ後の9時台に、市役所内で以下のような全職員あての通知が出されたようだ。この模様からも、市役所の対応の慌ただしさが窺えるが、このとき藤沢純一市長はすでに空の上だ
緊急のお知らせ【通知】大雨に対する対応について
報告者  市民安全政策課 2006/07/19 9:42
 
職員の皆さまへ
梅雨前線に伴う大雨により止々呂美地区において避難基準雨量(170mm)を観測したため、本日災害対策本部(関係部局)を設置し、パトロール及び防災行政無線による避難準備の広報等を行うとともに、止々呂美小中学校を避難所として開設しております。
各部局におかれましては、今後被害等を把握された場合には、至急市民安全政策課まで報告いただきますようお願いいたします。

市民安全政策課(内戦3397)

さて、藤沢純一市長の災害対策というトピックでは、就任直後の平成16年9月、一日のうちに紀伊半島沖地震と東海道沖地震が立て続けに発生し、箕面でも一日で2度とも震度4の揺れが観測され、災害対策本部が何度も開催された際に、本部長である藤沢純一市長が一度も市役所に来なかったため、議会で問題視されたことが印象深い。
議会質問に対して、藤沢純一市長は、こう答えている。
・・・本年9月5日に発生いたしました地震に際しましての本市の災害対策状況はご指摘のとおりでございまして、先般の建設水道常任委員会でも申し上げましたとおり、私自身の対応が不十分でありましたことに対して深くおわびを申し上げる次第でございます
(中略)
市民の皆さまの安全、安心を着実に確保するとともに市の災害対策の現場をみずから経験する貴重な場としてとらえ、積極的に参加すべきであったと、大いに反省をいたしております。・・・
今回の19日朝、災害の警戒レベルが「警報」へと上げられた直後のタイミングにもかかわらず、一顧だにせず、箕面を離れて北海道に旅立ったという藤沢純一市長の行動を見ると、一時よく耳にした「反省だけなら猿でもできる」というフレーズが頭をよぎる。

また、この平成16年当時の地震に関しては、地震の10日ほど後、藤沢純一市長は敬老会の挨拶で、「私が市長に当選させていただいてから台風が2回、地震が3回ありました。自然界も私の市長就任を手荒く祝福」してくれていますといった発言をしている。
これも議会で問題視され、「被災者や不安を抱える高齢者のことを考えれば、市長として不謹慎な発言ではないか」という趣旨の指摘がされていた。
気の利いた挨拶をという心情はわかるにせよ、箕面でも規模は小さいものの現実の被害が発生した災害を、安易に自らの市長就任の喜び(祝福)と結びつけ、高齢者の前で話すその感覚は、藤沢純一市長の軽率さと、やはり「市民派」が自称にすぎず視線が市民にあるわけではないということを、象徴的にうかがわせる事例だ。


さて、掲示板でも指摘されていたが、災害時に箕面を離れるという今回の行動について質問された場合、おそらく藤沢純一市長とすれば「万全な対策をとっていました」「実際にこれだけ機能して被害もなく問題ありませんでした」といった回答をすることが考えられる。
また、なかには「問題が発生していないのになぜそんなに騒ぐのか?」といったことを言う人もいるかもしれない。
だが、良識ある市民は、そんなわけのわからないことを言ってはいけない。
藤沢純一市長が答えなければならないことはただ一つ、「北海道の用事がキャンセル可能なものだったのかどうか?」だ。

なぜなら、なにかの対策をとるなどということは当然のことにすぎず、大きな被害が発生しなかったことは、単なる結果オーライにすぎない。
自然災害というものが予測がつくものではない以上、「災害対策」とは、「問題の発生を未然に防ごうとする努力」にほかならない。
つまり、責任者が仕事をしたかどうかの判断材料は、「たまたま雨が大雨が収束に向かったからよかった」ではなく、事態がどうなるのか予測ができない段階で最悪の事態を想定し、これに最大限対応しようとする体制をとったかどうかに尽きる。

北海道に行ってる最中に警報が発令されたなら、まだ同情の余地もある(早く帰るかどうするか?の判断)。だが、警報が発令された後で出発したという以上、藤沢純一市長は、「箕面での災害の可能性」「北海道の用事」を天秤にかけて、積極的に北海道行きを選んだことになる。
市民の安全を守るのは市役所の大きな役割だ。そのトップである市長にとってこれをおいてすべき仕事というのは珍しい。
注意報警報となり、箕面の危険度が上昇している状況下で、災害対策本部の本部長である箕面市長が、その仕事を放ってまで行くほどの用事である以上、北海道での用事というのは、とてもキャンセルも変更もありえない、さぞかし箕面市の命運を左右するような内容だったに違いない。

ところがだ。

早朝に箕面を飛び出していったのは、19日の昼の恵庭市長(北海道)との食事や視察のためだという。
また、出席予定だった「全国都市問題会議」は、20日??21日で、19日の夜に着いていれば間に合うものだ。しかも、この会議は、前川義人議員も出席していることからわかるように、自由参加のイベントで、別に欠席して困るような代物ではなさそうだ。

実際、隣接する池田市の市長「全国都市問題会議」に参加していたようだが、池田市のホームページによれば、池田市長は、小降りになってやむ見通しというアメダスの予報が確認できてから、午後の便で出発している。「警報」から「注意報」に戻った後だ。


北海道から帰ってきた藤沢純一市長の市長メッセージには、この19??21日の行動が旅行記のように書かれている。この緊迫感のなさには笑うしかないし、雨についてコメントしている冒頭部分の「他人事さ」には呆れてしまう。紹介しておこう。
雨が続いています。今回の降雨の積算雨量は、府内では箕面市がトップということです。しかし、幸いにして、九州や長野のような災害になるほどの雨量ではありませんでした。
そう、藤沢純一市長が放置した箕面市は、「今回の降雨の積算雨量が大阪府内でトップだったのだ。
だが、所詮は大阪府下でのトップにすぎず、九州や長野ほどではないから大したことがないとでも言いたいのか、「幸いにして」という評論家然とした言い回しがなかなか光るメッセージとなっている。

しかもだ。藤沢純一市長は、ほとぼりもさめやらぬ7月末、職員あてにこのようなメールを送ったという。
災害対策
7月下旬は長雨による大雨で、警戒基準雨量を突破し、災害対策本部の前段の会議を早朝開くなど、その対策に緊張した日々を過ごしました。
いったいいつ、どこで、藤沢純一市長が緊張した日々を送ったのだろうか。

さらに笑えるのは18日の市長メッセージだ。
この日は北海道行きの前日だが、こんなことを書いている。こんな風に、予めつっこまれるようにネタの仕込みを忘れないのはさすがとしかいいようがない。
梅雨が続いています。梅雨末期に当たるこの時期は、集中豪雨に注意が必要です
そう書いた矢先の出来事。
藤沢純一市長は、いったい何に注意していたというのだろうか。


【追記】(2006.08.01)
7月末に、藤沢純一市長が職員あてに送ったというメールをよく読むと、わざわざ
災害対策本部の前段の会議を早朝開くなど
と書いている。おそらく、ここで指しているのは、午前4時頃に、藤沢純一市長不在のまま、職員のみで開催した会議のことだろう(上の時系列のなかでは掲示板の情報から「災害対策本部が設置された」と記載したもの)。

つまり、午前4時頃の会議は、災害対策本部の「前段の会議」であって、災害対策本部ではないあくまで、朝7??8時頃に市長が空港への道すがら市役所に寄った際に一瞬開催したものがホンモノの災害対策本部という理屈を暗に示したいようだ。

早い時点での掲示板への情報提供者の認識と食い違っていることをみると、最初から本当にそうだったのか、あとから取り繕おうとした理屈なのか、真相は不明だが、正直、会議の名称は市民の安全となんの関わりもない。
どんなに表面を整えようとしても、藤沢純一市長が災害対策をほとんど放置したという事実まで取り繕うことは難しいし、以前、記事にした広報紙の差し替え騒ぎのように、取り繕おうとすればするほどこうした不自然さが堆積していく。

「本部長不在のまま災害対策本部が設置された」との批判を避けたい一心から編み出したこの理屈には、藤沢純一市長お得意の「血の滲むような努力」の跡が窺えて微笑ましい。だが、こんな細かい仕込みを必死で考えるヒマがあるのなら、もっと箕面市民の安全のことを考えていただきたい。


【追記2】(2006.08.15)
災害のあった19日当日の北大阪の警報と注意報の発令状況がインターネットで公開されている。

7月19日の北大阪の天気

これを見ると、注意報(右側の黄色マーク)ばかりが続くなか、たった一度、ほんの数時間だけ警報(左の赤色マーク)にレベルが上げられ、事態が緊迫したことがよくわかる(6時42分から9時48分の間)。

そして、災害対策本部の本部長である藤沢純一市長が北海道へ旅立ったのが、たったの3時間余りしかないこの最も緊迫した時間帯であったことには、箕面市民としてコメントのしようがない。
posted by 箕面仮面 at 23:28| 大阪 曇り | TrackBack(0) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

コスタリカは理想郷か?

6月議会も終わり、自称「市民派」グループにも夏休みが訪れている。
議員の視察旅行を批判している手前、素直に旅行とは言えないものの、自称「市民派」議員も、やはり議員。例えば、
7月の私の研修予定は、次の通りです。
 7月7日 箕面市議員研修会
 7月10日 近畿自治体学会
 7月13・14日 情報ITセミナー
 7月18,19日 建築・土木行政勉強会
 7月20,21日 全国都市問題会議
と、ホームページ会議名だけを並べている前川議員だが、会議名をグーグルで調べてみると開催場所が北海道日通旅行の案内ページ)だったりと、小さな笑いを誘うのはお手のものだ。
せっかくの長旅なので、他の自称「市民派」議員と一緒にゆっくりしていただければと思う。この際、ご自身の批判的な立場は、持ち前のいい加減さで忘れていただいても結構だ。

さて、旅行といえば印象に残っているのは、(夏ではないが)牧野直子議員のコスタリカ旅行が記憶に新しい。牧野直子議員をはじめ、自称「市民派」グループにとって、コスタリカは憧れの地、「平和」の桃源郷だ。
牧野直子議員は、過去の市議会の本会議の発言でも「コスタリカ」を引用している。
中米のコスタリカでは、軍隊をなくし軍事費をすべて教育費に振り向け、徹底した対話による平和教育がなされていると聞きました。
非常にお気楽な伝聞形だ。
だが、少し真面目にコスタリカのことを調べれば、そう軽々に、コスタリカを「理想郷」のように呼べないことに気づくはずだ。

自称「市民派」の聖地であり、桃源郷であり、理想郷である「コスタリカ」の現実はどのようなものなのだろうか。「コスタリカ 軍隊」「コスタリカ 平和」でグーグル検索をするとすぐに見つかる記事を紹介しておこう。


少し長文ではあるが、現実から目を背けないためにも、一読していただくことをお勧めする。一応、メモとして、自称「市民派」グループがよく言う「幻想」との相違点のみを、以下に簡単に要約抜粋しておきたい。


  • 「非武装の国」として、最も賞賛されているコスタリカの現行憲法は、第12条で常備軍の保持を禁止している。しかし、同時に非常時には徴兵による軍隊を組織できることを規定している。この点では、日本国憲法第9条の方が、厳格に遵守されるならば法規的には徹底している。
  • コスタリカに常備軍はないが、市民警備隊は、ロケット砲など日本の警察(拳銃、ライフルなどの小火器)以上の装備を有し、また、治安、諜報、対テロ特殊部隊も存在している。コスタリカの治安対策費は113億ドルで、金額では中米で第3位、GDP比で0.76%でやはり第3位。この傾向は、中米紛争が終結したときの状況(10年前)から変わっていない。
  • コスタリカの非武装政策は、自国の国防、安全保障をはじめとする従属外交とまでいえる親米政策によってのみ可能であった。この対米従属性は、現在も継続されており、中南米の左翼勢力の中では、歴代のコスタリカ政権の内外政策は、決して自主的、革新的とはみなされていない
  • コスタリカの教育費は、一般予算の中で20%程度を占めているが、予算経費だけをみるとメキシコが25%、キューバも22%。一方、同%は低いものの、アルゼンチンやウルグアイの教育水準が高いことは、中南米でも広く知られている。両国の識字率はいずれもコスタリカよりも高い。
  • コスタリカは、常備軍を廃止する前の1948年までに、すでに6年間の義務教育が保障されていた。常備軍のある当時から『兵隊の数よりも教師の数の方が多い』と評されるほど、教育に力が入れられており、国家予算における教育費の占める割合は多かった。
  • コスタリカは、社会・福祉関係予算に46%を当てており、高い比率だが、ウルグアイやアルゼンチンは、それ以上の66%、あるいは50%を社会福祉予算に当てている。コスタリカの平均寿命もキューバ、チリと同程度である。
  • 貧困ライン以下の家庭は、18%、日常の生活必需品に事欠く絶対的貧困ライン以下の家庭は、7.5%もあり、中南米ではキューバ、ウルグアイやアルゼンチンよりも貧困者の比率が大きい。このことは、人口380万のコスタリカで、約100万人、すなわち、4人に1人以上が、かろうじて日常の食糧とその他の生活必需品を購入することができる生活水準にあるということ。
  • コスタリカでは、2000年度は12万5000戸の住宅が不足した。首都サンホセには数百名のストリートチルドレンがおり、全国で9000人の女性が売春を行っているとも報告されている。その点では、医療費が基本的に無料、大学までの教育費も基本的に無料である制度を40年間維持しているキューバと比較すれば、特に優れた福祉政策とは呼べない
  • コスタリカは、中米の地域では確かに優れているが、ウルグアイ、アルゼンチン、チリと同等の教育水準、社会福祉水準とみなすのが順当なところ。バルガス氏は、「1949年軍隊を廃止した際に、それまで軍隊に使われていた予算が、まず教育に回されました。それから、社会的な保障に回されました」と述べているが、こうした数値からは、氏が指摘する因果関係は見られない
  • 環境保護に関しては、コスタリカは、世界で先立って優れた政策をとっているとも言われているが、観光のための乱開発、海水浴場の私有地化などが問題となっている。森林破壊率では、コスタリカは世界で上位6位にランクされるほど深刻な問題を抱えている。輸出向け農業、急激な都市化などにより1960年代より森林の破壊が著しく進んでおり、国土の42%が侵食されているという報告もある。政府は、このことを懸念して1988年自然保護の法律を制定した。しかし、80年代からの新自由主義政策のもとで、環境保護政策も困難を抱えているのが実情。
  • コスタリカ憲法では、第3章第99??104条で「最高選挙裁判所」について詳細な規定を行っているが、日本からみれば特殊な固有の規定制度が見られるものの、それは、コスタリカに限られた制度ではなく、中南米では、メキシコ、エルサルバドル、パナマ、ウルグアイなどの憲法にも、選挙管理裁判所の設置の規定がある。


まず、誤解のないようにあらかじめ断っておくが、上記の要約は、紹介した論文から特徴的な部分を筆者が独自に要約しただけのものであり、この情報がすべてではないし、コスタリカの取組を尊重こそすれ否定するつもりはさらさらない。

ここで良識ある市民が問題とすべきは、こうした情報に一切目もくれず、コスタリカを軽々に平和の理想郷であるかのように宣伝する点だ。
自称「市民派」グループの特徴は、他市の事例や海外の事例を、極めて限定的な一部分のみを切り取って、普遍的な真実であるかのように宣伝することにある。

先ほどの牧野直子議員の議会発言もそうであるし、坂本洋氏のブログで書かれている
フィンランドの教育力は、少人数学級に加えてグループによる子ども同士の教えあい授業から生まれている。
というくだりもそうだ。

もちろん、事実の評価は必ず多面性を伴うので、コスタリカの良い部分を尊重し、一定の主張の材料として用いるのは構わない。だが、それも程度問題であり、他の情報をすべて黙殺し、都合の良い部分だけを切り出して殊更に宣伝することは、事実を曲げていることと同義だ。
こうした極めて偏った情報と誤解を根拠に立案した政策を推し進めようとすることは、とても科学的とはいえない。

以前の記事「広報紙にあいた「穴」」でも紹介したが、藤沢純一市長2月議会の辞職勧告決議の後の挨拶を引用しよう。
議会での議論が、冷静な客観的な情報と科学的な裏づけのもとに、市民生活の向上を第一に考えるものになることを願ってやみません。
例えば、コスタリカを平和の桃源郷であるかのように語ることフィンランドの教育力が少人数学級だけに因っているかのごとくに語ること、また、過去のビラでもよく目にするが、どこかの国のまちづくりを軽々に引用して礼讃すること
こういう主張は「科学的」とは呼ばず、SFという。(サイエンス・フィクションまたはサイエンティフィクション)

・・・SFは娯楽だけにしていただきたい。

なお、作為的にSFを用いているならいざ知らず、真剣にこれを科学的だと信じているならば、それは小説やマンガの世界に生きているのと同じであって、もはや笑うほかはない。
牧野直子議員の旅行の記述などを読むと、この人はこの「切り取られた言葉」を真剣に信じているのではないか?と疑いたくなるが、市民の代表である市議会議員たるもの、まさかそんなことはないと思いたい。
われわれ箕面市民は、SFではなく、現実世界に暮らしているのだ。

さて、最後に同記事のまとめの部分が印象深いのでそのまま引用させていただく。
こうしたコスタリカを、以上述べた問題を抜きにして、「軍隊をすてた平和・積極的中立国家、模範的民主主義国家」と描くことは、歴史的事実に反するし、脱階級史観的な見方といわざるをえない。この現象は、ちょうどソ連のゴルバチョフ大統領の経済顧問であるミリューコフが1989年来日し、日本社会を調査して、「日本では生産及び生産手段の所有において極めて高度に社会化が進んでいる」と報告したことを思い出させる。もし、その報告を読んだソ連国民が当時の日本(いわゆる日本型社会が頂点に達していた時期)を素晴らしいものと考え、日本の支配層(自民党、財界など)と連帯や交流を進めたならば、ソ連の人々が目指す「社会主義」はその程度のものかと言うことになったと思う(実際にそうなったが)。同じように、コスタリカ社会を、「軍隊を捨てた平和・積極的中立国家、模範的民主主義国家」と見て賛美するならば、その人々の目指す平和・中立・民主主義の日本は、その程度のものかということになるであろう。
自称「市民派」グループの「平和」へのアプローチとしては、(以前、「市民を「動員」する藤沢市長と傍聴者離れ」で少し触れたが)箕面市が後援して3月に開催された「平和の集い」なるイベントの申込み先を、藤沢純一市長の個人の政治組織の電話番号にして顰蹙を買ったというのが記憶に新しい。

上記の「その程度のものか」を象徴するようなレベルの事例だが、「笑える」という点だけは評価できるとしても、自称「市民派」グループとはいえ、自分たちが「市民の暮らし」という「現実」を預かる箕面市長であり市議会議員であることを忘れないでいただきたい。


【参考】 無防備地域宣言
本論からは逸れるが、同じように自称「無所属市民派」議員が熱心に参加する幻想キャンペーンとして「無防備地域宣言」というものもある。以前の記事「箕面市も他人事ではない「無防備地域宣言」の愚」を参照されたい。
posted by 箕面仮面 at 20:01| 大阪 曇り | TrackBack(1) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

6月議会レポートの添削文(プロジェクトみのお)

自称「市民派」グループの愉快な司令塔である、坂本洋氏藤沢純一市長の後援組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」の事務局長)が6月の市議会を振り返ったまとめ記事を書いてくれている。
自称「市民派」の作文術に忠実に書かれたこの文章を、添削してみよう。
4つの常任委員会審議を経て、この日は提案された条例案や補正予算案、請願などの採決が行われた。一部を除き全会一致(全議員が賛成)で可決成立したが、「剪定ゴミと紙おむつの無料収集の方法」では市長案と自公民案をめぐって討論が行われ、自公民案が成立。
「住之江競艇ナイター開催計画の中止を求める請願」と「共謀罪の新設法案に反対し廃案を求める意見書」は、いずれも反対多数で否決された。

剪定ゴミと紙おむつの無料収集は多くの市民から要望されている。今回、市長と自公民双方から改正案が出されることを聞いた市長も慌てて準備不足の改正案を用意し、建設水道常任委員会で長時間審議され自公民案を可決スベキとしたが、本会議で共産党も理解を示し乗って賛成多数で成立した。自公民案は剪定ゴミに加えて落ち葉、雑草など、家庭から出る植物ゴミを燃えるゴミの日に無料回収し燃やす内容。市長案は非常識なほどのコスト度外視の税金投入により燃やさずにチップにして土壌改良剤にするという資源化をめざす案だが、自公民は「場当たり的、コストがかさむ」という理由で合理的に燃やすことになった。
今回のごみの回収についての条例改正は、早くから掲示板の方で話題になっていた。このため、実は提出に至った経緯もすでに表面化している。
議員と市長が同時に準備したわけではなく、議員が条例改正を準備していたことを知った藤沢純一市長が、慌てて対案を準備したという経緯に触れたくないというのは、まあかわいげのあるごまかしだろう。

しかし、早くから比較されていたゴミ処理にかかるコスト(=もちろん税金)に、どれだけ桁違いの差があるかという数字にはまったく触れず、あたかも「ほんの少しコストがかかるだけなのに」といった論調へのごまかしが入っているのは少々悪質だ。
このことは、議員側から示されていた以下の参考情報を見るとわかるので、ここに整理をしておこう。

  • 箕面市で排出される剪定枝は年間約1200トン(推定)
  • 焼却と堆肥化のコスト比較(H16実績)
    1トン当たりの焼却コスト =  3万3000円
    1トン当たり堆肥化コスト = 38万8000円
  • 堆肥化をするならば、同時に960トンの生ゴミ(剪定枝に混ぜる0.8倍の生ゴミ)が必要だが、箕面市内の全小学校・保育所の給食残渣は年間67トンしかない
    一方、各家庭の生ゴミの個別回収や、堆肥化を進めるためには、敷地・機材・人員体制の用意が新たに必要
  • 堆肥化せずにチップ化する場合、現在の14倍の剪定枝をチップ化処理するための敷地・機材・人員体制の用意が新たに必要

さて、先を続けよう。

紙おむつに関しては市長案が高齢者や障害者だけであるのに対して、に加えて3才未満の乳幼児にも年間60枚無料の燃えるゴミ袋を支給するというのが自公民案。赤ちゃんが生まれたら、世帯の人数が増えるので、20枚から40枚燃えるゴミ袋が支給されている。布おむつを使っている家庭もあるし、2才を過ぎればおむつが取れる子も多い、一律に無料のゴミ袋を支給するのはバラマキ施策でゴミ減量に逆行すると自公民案に反対討論をした増田京子、北川照子議員は、なぜか高齢者への一律支給はバラマキ施策でもなくゴミ減量に逆行しないと、市長案には賛成する不可解な投票行動をとったが反対討論したが、多数決で自公民案が成立した。乳幼児に紙おむつ用に無料のゴミ袋を支給することも、世界一の少子化国という悩みを抱える日本が、できることから取り組むべきのが「少子化対策」「子育て支援」の一つだろうだそうだ
紙おむつについては、あたかも、赤ちゃんの紙おむつだけを巡る議論のように書いているが、高齢者や障害者とのバランスも含めたゴミ袋の配布方式が論点だ。
自称「市民派」議員は、なんとか市長案と自公民案の差分だけに反対しようとするがあまり赤ちゃんの紙おむつにだけ反対するという愚に出てしまっている
少子化という日本が際立って抱える最優先課題が厳然と存在するなかで、これは明らかな戦略ミスといえよう。
ナイター開催の中止を求める請願は、共産党に市民派や無所属の女性議員が賛成したが、同じく市民派の前川義人議員を筆頭に反対多数で否決。共謀罪に反対する意見書では今度は前川義人議員も賛成にまわったが惜しくもも同様に否決。ビラや選挙活動では一緒に行動している市民派国会では自公と対立している民主だが、箕面市議会の市民派民主党会派内の調整もせずに意見も述べずに反対・賛成と、自公民と「鉄の空中分解結束ぶり」を示した。
坂本洋氏は原文で、「・・・請願は、共産党に市民派や無所属の女性議員が賛成したが」と、さらっと表現しようとしているが、自称「市民派」の投票行動のバラバラさに気づかせまいとする血の滲むような表現努力には笑いを禁じえない。
無所属の議員は1人だけ、共産党は男女両方で一枚岩だ。「共産党、市民派、無所属」と3つ並べているが、わざわざ「の女性議員」と限定をつけなければならないのは空中分解した自称「市民派」だけだ。
なお、共産党と市民派の間を「に」でつなぎ、無所属の議員がたまたま女性であるがゆえに、文章自体はもちろん間違っていない。が、その努力にはおそれいる。

こうした自称「市民派」議員の投票行動のバラバラさについては、「民主・市民クラブだより」の表がわかりやすい。
なお、6月に配布されたこの「民主・市民クラブだより」は、「箕面再生」と並んで、藤沢純一市長や自称「市民派」グループの愉快な主張に対し、具体的な数字をあげて、笑えないくらいに打ち砕く秀逸なレポートだ。読んでいない人は、参照されたい。

さて、続きだ。
長時間傍聴席で聞いていて、暑さとイスの硬さで疲れるが、それ以上にまともな市長答弁議論が行われないことが疲れる。市民の税金で雇われ、忙しい市民に代わって 市民のために仕事をするのが市長議員の役割。しかしながらこの2年間、ずうっと箕面市議会を傍聴し続けて感じるのは、藤沢純一市長が市議時代から抱き続けている議論ではなく怨念に支配された市長答弁議会だということ。藤沢純一市長自公民の15名・・・議会多数派は最初に「聞く耳もたず反藤沢」ありきで、最後まで「聞く耳もたず反藤沢」。正当な選挙で選ばれた市議会を藤沢市長にことごとく無視対立し、不都合はすべて過去の市長・議員のせいに言動を引き合いに出し、ささいな事柄をも的確に説明できず執拗に誇張しすれ違い、無視、思いつきを繰り返し揚げ足を取り、誹謗中傷、あるいは1時間にも及ぶ質問にも真摯に答弁せず一方的な説教・・・良識ある箕面市民のみなさん方はぜひ この議会内部で行われている「藤沢市長のペテン攻撃」を見ていただきたい。
藤沢市長がいかに自公民3会派を気に食わないからといって、3月議会で公言した「議会に足を運びコミュニケーションに努力する」といったこともまったくせず、内向きの不毛な答弁議論に終始していては「税金の無駄遣い」以外のなにものでもない。選挙対策市民のための公約前向きな議論を、せめて議会に説明しその内容の是々非々を問うで行うことは公約を掲げた市長議員の責務ではないのか? 開発反対や競艇反対、ゴミ有料化の白紙撤回を期待した剪定ゴミや紙おむつで困っている市民を裏切らずに寄り添う改正案は、対立のための対案ではなく、冷静に説明すべきであり議論されるべき案件、さらに放漫経営を続ける何とか燃やすのではなく、行政改革資源化の方策をみんなで考える・・・これが市民に対するあれだけの公約を掲げた藤沢市長の責任というものだろう。
この部分は、毎度おなじみの自称「市民派」のお家芸だが、批判対象の単語を「市長」に入れ替えるだけで、市長への批判文に簡単に様変わりするのは、実は、これが批判文の典型パターンにすぎず、文章の量やトーンの強さの印象の割には、ほとんど内容がないことの証でもある。
(・・・いわば「批判テンプレート」とでも言おうか。)

今回の記事もそうだが、この手のパターン文が、全体のかなりの割合を占めているのも、彼らのビラや文章の特徴であり、大量のビラが生産できるのは、このノウハウゆえだ。
この日の最後に一般質問で公明党の田代議員が、旧焼却場跡地問題を取り上げた。10年ほどそのままになっていた跡地、このたび土壌を調査したら重金属に 加えてダイオキシンも検出された。この調査を「藤沢市長自身が指示したという答弁は誤り、職員が準備してきたことを単に実行しただけだから発言を訂正せよ」と指摘。再質問までして追求した。それは当然だ。「藤沢市長自身が発案したことにしたかったのがバレたの手柄にはさせない!」ということなのだろうが、全く藤沢市長も大人気ないというか、聞いていて情けなくなる。昔の焼却場跡地から汚染が見つかるのはどこでもある話、早急に調査して住民のために安全な処理策を講じるのが市長議会の役割だろう。実施議論すべきは早急な安全対策であり、自分の手柄を先に宣伝したい云々ではないことは子どもでもわかること。大人気ない不毛な答弁議論何度も繰り返さず、建設的、前向きな議論をこそ市長にしていただきたい。
公明党の田代議員が、「事実関係が違う」と藤沢純一市長に答弁の訂正を求めたのに対して、藤沢市長が、はぐらかしてごまかそうとした結果、審議を長引かせてしまったといった顛末だろう。

この話を読んだときには、あまりの情けなさに思わず笑ってしまった。
というのは、藤沢純一市長のごまかしもさることながら、そもそも、時系列で紐解くと、この件、坂本洋氏が自分でブログ記事に書いたことに端を発した可能性が高いのだ。

坂本洋氏が、6月14日に掲載したブログ記事(委員会レポート)に、「閉鎖されて10年間もそのままになっていたのを、藤沢市長が指示して調査を命じたら土壌汚染が見つかった。」と書いている。
これは、田代議員と同じ公明党の西田議員が、藤沢純一市長の第一清掃工場跡地の現在の調査の進め方の不手際(周辺住民へ説明)を委員会で指摘したことに対して、反論するかのごとく悔し紛れにコメントがされている部分だ。

ところが、この坂本洋氏のコメントに対し、6月19日に、インターネットの掲示板で指摘が入っているのだ。
「これ嘘ですよ。(中略)こういう小さな嘘を重ねるから、信用を失っていくということがわからないんでしょうか。」と、藤沢市長が就任する数ヶ月前に作られた箕面市の計画(公共施設配置構想2)を箕面市ホームページから引用している。

そして、田代議員が自らおかしいと感じて発言したのか、それとも、このインターネットの名もなき声を汲みあげて議会でぶつけたのかはわからないが、6月26日、市議会での追及劇が展開されたという順序だ。

いかなるルートにせよ、藤沢純一市長とその参謀である坂本洋氏にとって、小さなごまかしの宣伝をしようとしていたことが、市議会の本会議での失態を招くことになったというのは、自業自得としか言いようがない。
さらにそれを、再び、坂本洋氏がこうしてブログ記事で一生懸命に反論しているのは、一種の喜劇に思えてならない。さすがは愉快な司令塔だ。
藤沢純一市長自公民のみなさん方は、長年慣れ親しんだ「自称「市民派」議員与党」という立場を失ったこと耐えられず、何とか市民を欺く藤沢市長を追い落とすことばかり考えているとしか思えない。こんな市長議員に市民は高い税金で市長議員報酬を払っているわけだ。
坂本洋氏には、毎回、このように添削しやすい記事を書いていただけると、大変助かる。この調子で、素直な笑いたっぷりの話題を提供し続けていただきたい。
posted by 箕面仮面 at 21:18| 大阪 曇り | TrackBack(1) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

箕面市に他人事な箕面市長(藤沢純一市長)

前回の記事「広報紙にあいた「穴」」でとりあげた、藤沢市長による広報紙の差し替えの件が、市議会での議論にあがったようだ。
掲示板の方に報告されている傍聴者のメモによれば、12日の建設水道常任委員会で1名の議員から市長への質疑がなされ、13日の総務常任委員会では4人の議員から質疑がなされたという。内容を見ても、なかなか箕面市長への厳しい追及となっている。

・・・ところがだ。

毎度おなじみのプロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)の事務局(坂本洋氏)のブログでは、建設水道常任委員会レポート一番末尾に、
最後に案件外で広報誌「もみじだより」6月号の記事差し替えが問題になった。
としか書かれていない。
著者のパソコン環境でこのレポートの議事部分(空行を除く)を数えてみると全体で60行あったが、もみじだよりの差し替えについてはこの最後の1行だけだ。
傍聴者のメモを見る限り、それほど小さなやりとりだったとは思えないが、触れなければ嘘になるからという言い訳が見え隠れするのが笑いを誘う。

また、いつもは委員会終了後に速やかに掲載されるレポートが、この件で4人の議員から質疑があった総務常任委員会だけは、なかなか掲載されないまま現在に至っている。
書きづらいのかもしれないが、いつも笑いを届けてくれる自称「市民派」だけに、総務常任委員会の方のレポートにも期待したい。(→注:ようやく掲載された模様)

さて、今回の藤沢純一市長による広報紙の差し替えについては、前回の記事に一通り書いたことでもあり、また、議会でも掲示板でも多数のコメントがされているため、本論はそちらに譲るとして、傍論だが気になった点を指摘しておきたい。

今回の件について、誰が問題だったかという真実についての追及は他に委ねるとして、気になったのは、問題の所在がどこであったにせよ、組織のことを他人事扱いするという藤沢純一市長の振る舞いについてだ。

思い起こしてみてほしい。
企業で誰かが問題を起こしてしまったときの記者会見で、「今回の件につきましては誠に遺憾でございます。みなさまには大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。」などと、社長以下の重役が揃って頭を下げるというシーンは(それ自体、喜ばしいことではないが)比較的目にする光景だ。

これは体面の問題というわけではなく、社会的には、法人組織というのは全員で一つの存在だという、ただそれだけのことだ(逆に「法人格」とはそのための制度といってよい)。
外から見れば、どの社員が悪いのかという点は問題でなく、組織が組織として問題を起こしたとだけ認識されるのだ。

したがって、もちろん企業内では、問題を起こした社員が怒られ叱られ責任を追及されるが、外に対しては全員が一つの組織としての顔を向けるのが社会の作法だ。そのなかで、トップは、組織を率いる代表者として、全員のミスを背負って社会と接するのがその役割とされている。

しかしながら、傍聴者のメモによれば、市議会でのやりとりでは、担当職員が「私に問題があった。」「今回の市長への遅れは私たち職員のミスです。」と言っている一方で、組織を率いる箕面市長は、
  • 組織的な問題が露呈した。
  • 議論の無いままこの記事が出てきた。
  • 職員の言うことは「飲んで来た」が、今回の記事は私の思いが入っていなかった。
  • 事務的なミスだ。

との発言をしたとのことだ。
最初は何かの冗談かと思ったが、どうやら藤沢純一市長は本気らしい。

これがどれほどおかしなことか。
万が一、「市議会は行政のチェックをする場なんだからそれでいいのだろう」などと、中途半端な納得をしている人がいたら、それは大きな誤解だ。

市議会という場は、行政体にとって決して内輪の場ではない。
そもそも、市議会と行政はまったくの別組織だ。市議会は、市民の代表者である議員の合議体であり、そこに出席している行政は、説明のために出ていって発言をしているというだけの立場だ。
つまり、市議会は、行政にとって「外」であり、ここは行政が一つの法人組織として振る舞わなければならない場だ。

しかしながら、そのような場で、藤沢純一市長は、要約すれば「自分は悪くない、部下が悪い」という、いわば公衆の前で間接的に部下をなじるだけの説明をしたという。

考えても見てほしい。
例えば、ある会社の上司と部下の2人づれが、営業先の会社を訪れた際、納品の遅れを指摘されたとしよう。
その際、上司が謝りもせずに「私は指示したんですが、こいつがミスをしましたので。」と言うだろうか。さらに、部下が「すみません、私のミスです。」と謝っている横で、「そうなんですよ。私はちゃんと指示したので間違っていないんですがね。」と自分の正当性を主張するだろうか。

いくらその上司と部下が仲が悪くても、社会人の常識として、そうした行動はとらない。なぜなら、部下がミスしたかどうかは相手の知ったことではなく、その上司が、部下の行動も含めて、その場で会社を代表する責任者としてどう対応するのかが求められている場面だからだ。
(おそらく、その営業先からは出入り禁止を食らうだろう。)

ましてや、常に組織を代表する社長の言い訳として、「社員がミスをしましたので。私は間違った判断をしていないのですが。」というのが世の中に対して通用するだろうか。

この場合、広報紙の差し替え問題が、藤沢純一市長が主張するように、本当に部下の責任だったのかどうかではなく、また、仮に内部で揉めていようとも、組織の責任者がこのやり取りを外に向かって平気でできてしまうことが理解しがたい。

これまでも何度か、自称「市民派」の他人事発言について指摘をしたことがある。だが、さすがは藤沢純一市長といってもいいだろう。ここまで無自覚な発言も珍しい。

藤沢純一市長は、自分が「箕面市」という行政組織に属しており、さらに、その行政組織を自らが率いているという意識を、果たして持っているのだろうか。
箕面に住む市民として不安に、また、一社会人として疑問に思う一面だ。
posted by 箕面仮面 at 05:10| 大阪 曇り | TrackBack(2) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月07日

広報紙にあいた「穴」(藤沢純一市長)

ネタが出てきたと思ったら、今回はあまり笑えない話だ。

数日前から掲示板で話題になっていることがある。
藤沢純一市長が、広報紙「もみじだより」の記事を恣意的に差し替え、その結果、広報紙に2ページの「穴」をあけてしまったというものだ。

この話題についても、以前の記事、「本物だった藤沢市長の手紙」で書いたときと同じように、個人的には半信半疑であり、さすがにデマではないかと考えていた。というのも、行政の透明性や情報公開を標榜してきた藤沢純一市長にとって、そのようなことが致命的な行動だということくらいは自覚しているはずと思うのが普通の感覚だからだ。

ところが、昨日開催された箕面市議会の超党派の議員による「箕面再生の会」座談会で、差し替えられた元の原稿の現物が示されたという。

※追記 : 元原稿がインターネットに公開された模様(→こちら

元の原稿が現に存在しており、それがこれまで話題になっていた内容と一致するものである以上、デマではなく本当のことだったと受け止めざるをえない
ある意味、妙に期待を裏切らない藤沢純一市長はさすがだと思うものの、それにしても予想を上回る非常識さには驚きだ。

さて、事実関係についてまとめておこう。
掲示板の話を総合すると、以下のようになる。

  • 藤沢市長が広報紙「もみじだより」(6月号)の「ともに考えましょう市の重要施策」の記事を直前に削除させた
  • 「ともに考えましょう市の重要施策」は、藤沢市長が情報公開や市民協働の柱として鳴り物入りで創設したコーナー(平成18年度施政及び予算編成方針、平成17年9月議会、平成18年3月議会(2回)で繰り返し宣伝をしている)
  • 削除された記事には、ゴミ有料化の賛成・反対の市民アンケートの結果が載っており、H14(有料化前)とH17(有料化後)のアンケートを比較したデータが、藤沢市長の主張と逆行する内容だった
  • すでに印刷に出されていた後で強引に削除をさせたため、2ページ分の記事がなくなってしまい(=「穴」)、急遽、過去の広報紙で使った市役所の案内図で埋めた

この件については、掲示板の関係ログがまとめられているページができているので、詳しくはここを参照すると経過がよくわかる。

実際、今月の広報紙「もみじだより」(6月号)を見ると、突然、市役所の案内図が見開き2ページで登場しており、非常に唐突感を覚える。また、表紙から10ページ目まではフルカラーのページが続いているのに、なぜかその途中のこの部分6・7ページだけが単色刷りの無味乾燥な案内図となっている
そして、この6・7ページの場所は、過去のバックナンバーを見てみると、一部を除いてほとんどが「ともに考えましょう市の重要施策」の定位置であり、なぜか今月だけそのコーナーがない
さらに、この市役所の案内図は、平成17年4月号の広報紙にある「市役所各課の配置が決まりました」という案内図酷似しており、明らかな使い回しとわかる。ちなみにこのときは、市役所内の配置換えがあったために案内図が掲載されたもののようだが、今回、特に案内図を載せる要因はなさそうだ。

このように、実際の広報紙「もみじだより」を見ても、違和感は拭えない。
そして、差し替え元の原稿が存在しているとなれば、この事実について疑う余地はない。

もちろん、広報紙の編集過程で、記事を削除したり変更したりといったことはあるだろう。当然のことながら、載せるべき情報の取捨選択が、編者の、そして発行責任者の主観によってなされることは、なんら否定されるものではない。
しかしながら、印刷に出された後で差し替えを行うということは尋常ではない。また、差し替えるべき新しい原稿の用意がないのに差し替えを行うということも尋常ではない。どうしても掲載すべき緊急の情報を入れ込む必要があったり、記事に重大な誤りがあるといったことでもない限りだ。
今後の検証のポイントは、(おそらく差し替え後のページに緊急性はないと思われるため)差し替えられた元の原稿に事実誤認などの問題があったのかどうか。その点を押さえた上で、仮にそれほど問題のない原稿であったとすれば、なぜそこまでして差し替えるに至ったのかだ。

6月の市議会がはじまったが、藤沢市長の「広報紙による恣意的な情報操作」(広報紙の私物化)といえるかどうか、そこがポイントだ。


ところで、断片的な情報ではあるが、記事に掲載されていたのは、ゴミ有料化の賛成・反対の市民アンケートの結果で、H14(有料化前)とH17(有料化後)のアンケートを比較したデータであり、これが藤沢市長の主張と逆行する内容だったため、このような事態を引き起こしたものだという。

そこで、箕面市役所ホームページを検索してみたところ、実は、これのことではないか?というデータを見つけたので紹介しておく。
箕面市役所ホームページの検索窓から「ごみ 有料 アンケート 比較」で検索すると、「箕面市市民満足度アンケート調査集計結果(単純集計)【平成15年度??17年度比較】」という資料が検索結果の2番目に見つかる。
最近の検索システムは、検索結果に該当部分の要約が引用されるため、すぐにそれとわかって非常に便利だ。

資料を開いて10・11ページを見ると、Q16・Q17に、ごみ処理関係の設問があり、その下に参考数値として、「平成14年3月に行った「ごみ資源化についての市民アンケート調査」結果」というものが並べて掲載されている。
多数の項目があり、それぞれ増減があるため実際に見てもらうのが一番だが、代表的な数値はこれだろう。
ごみ処理経費の有料制に対する考え
 H14  賛成:24.3%  反対:38.1%
 H17  賛成:39.0%  反対:33.5%
3年間で賛成・反対が逆転しているという変動は、確かに、藤沢市長の公約の「市民に理解の得られないゴミ有料化は白紙撤回」とは裏腹に、市民の理解が進んでいるといえる結果だろう。(有料化は誰も諸手を挙げて賛成したがらない性質の制度であるため、絶対値が小さいのは当然のこととして。)


さて、ここで一つ注意すべきことがある。
藤沢市長が広報紙「もみじだより」の記事の掲載を強引に止めた理由の真相は、最後は本人以外には誰もわからないが、掲示板で言われているように、「このデータを隠したかったのではないか?」と問われたら、おそらく藤沢市長はこう答えることだろう。
すでに公表しているデータだから、今さら隠してもなんの意味があるのか。そんなもの隠そうとするわけがないでしょう。
理屈の上だけはそのとおり。
だが、良識ある市民はその程度の戯れ言で納得してはいけない

このアンケート調査結果が、果たしてどれほど配布され、どれほどの人目についているのか考えてみてほしい。少なくとも冊子などで配布はされてはおらず、市役所ホームページと資料コーナーに置いてある程度だろう。そして、これだけ大量のデータが並んでいる分析結果のほんの一部分にすぎないこのデータに気づいている市民が、どれほどいるだろうか。

一方、このことに比べて、箕面市内の4万数千世帯に全戸配布する広報紙「もみじだより」特集記事でデータを紹介することが、どれほど影響力が大きいかこの両者の周知効果が、ほとんど比較にならないほど差があることは、素人が考えてもわかるし、ましてや、ビラ配布の専門家である藤沢市長なら実感を伴って理解しているに違いない。

ホームページを探さなければ出てこない情報と、見やすく整理した上で強制的に全家庭に送りつける情報が、同じ「公表」のレベルであるはずがないのだ。

そして、もっと言えば、公表されていないデータであれば「間違っていたので伏せました」などと真偽不明にしてしまうこともできるかもしれないが(それはそれで問題だが)、すでに公表されているデータの場合には、厳然とした事実として動かしようがない。このため、実は、立場によっては、むしろ公開データの方がタチが悪い。

つまり、都合が悪いデータが、すでに公表されており、かつ、あまり知られていない状況ならば、このままそっとしておきたいと考えるのが自然なのだ。
そして、公表されているデータは、動かしがたい事実であるがゆえに、取り得る手段は「積極的には出さない」ことしかない。敢えてそれを選択することは、隠そうとすることとなんら意味は変わらない

これを考慮に入れて最初の問いに戻ろう。
すでに公表している数字だから、今さら隠してもなんの意味があるのか。そんなもの隠そうとするわけがないでしょう。
都合が悪いデータである以上、隠そうとする意味は上記のとおり十分にある。
そして、問題なく公表されている数字であるからこそ、わざわざ削除させるという行動の「不自然さ」に疑問が発せられるのだ。
ましてや、広報紙に「穴」があくような状況で強引に記事を削除するとなれば、それなりの説明が求められるが、藤沢市長には「恣意性」以外の合理的な理由があるのだろうか。
6月の市議会での議論を待ちたい。


藤沢市長は、2月議会の辞職勧告決議の後の挨拶で、こう述べている。
私自身、すべての決定は公の場でという考えを持っています。議会での議論が、冷静な客観的な情報科学的な裏づけのもとに、市民生活の向上を第一に考えるものになることを願ってやみません。
こう公言する藤沢市長が、広報紙「もみじだより」をどう扱ったのか興味が尽きないところだ。
公の場で十分に説明しうる理由があり、また、冷静で客観的な情報と科学的な裏付けのもとに市民生活の向上を第一に考えた結果として、印刷に出されていた記事を市役所の案内図に差し替えたのか。

整理された情報を強制的に全家庭に送りつける行政の広報紙という影響力の大きさゆえに、問題は決して小さくはない。藤沢市長は、自らがあけた広報紙の「穴」にはまりつつある。これが「落とし穴」にすぎないのか、「墓穴」になるのか、藤沢劇場の行く末には注目だ。

(執行猶予の確保や会社を守るなどの計算づくではあると思うが)先日、「市場取引のプロ」を自認した村上ファンドの村上氏は、潔く罪を認めて社会から去った。
「市民参加のプロ」を自認した箕面市の藤沢純一市長はどうするのだろうか?
posted by 箕面仮面 at 01:55| 大阪 曇り | TrackBack(0) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

無印良人?(中西とも子)

自称「市民派」の活動が空転しているなかにあって、今回はかわいい小ネタを一つ。

中西とも子議員のプロフィールの下の方をよく見ると、なにげなくこう書いてあるのを発見した。
生粋の無印良人
(政党や大きな組織には所属していません。)

【無印】
自分を「無印良品」の品物にかけるセンスもどうかと思うが、グーグルで「中西とも子 会員」と検索するだけで、検索結果のトップにこうした組織全日本建設運輸連帯労働組合(連帯ユニオン)が登場し、実際に、組織の声明の第一次呼びかけ人として活躍しているのがわかってしまう中西とも子議員が、とうてい「無印」であるとも、政党や大きな組織に属していないとも思えない
これを恥ずかしげもなく「無印」と称してしまえるあたり、さすがは愉快な「市民派」の筆頭格として藤沢市長と競い合っているだけのことはある。

※ 声明は、「緊急共同声明」(1・13関西生コン支部への不当逮捕・権力弾圧に抗議し、即時釈放を求める!)というもの。

【良人】
なお、「無印良品」が提供する商品のポリシー(参考:無印良品「素材の選択、工程の点検、包装の簡素化」)同じ水準で「良人」と自称してよいのかどうかは各自の判断にお任せしたい・・・が、この間の行動を見ていると個人的にははなはだ疑問だ。

最後に、念のため、辞書(Yahoo!辞書??大辞泉)「生粋」を引いてみよう。
きっ‐すい【生粋】
《「きすい」の音変化》まじりけが全くないこと。「―の江戸っ子」

どうやら「生粋」という言葉の意味も取り違えているようだ。

老婆心ながら、この自称「無印良人」を見たら、本家「無印良品」(株式会社良品計画)が激怒するのではないかと危惧している。箕面市民として面目ない。

なお、相変わらずこうして小ネタを用意していただいていることについては、深く感謝の意を表したい。

(参考)
無印良品(通販サイト:http://www.muji.net/)
株式会社良品計画
株式会社良品計画(無印良品について)
posted by 箕面仮面 at 01:09| 大阪 曇り | TrackBack(0) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

実はハコモノ派だった藤沢議員?(プロジェクトみのお)

【注:記事中の誤解について】(2006年6月11日追記)
本記事は、「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」のトップページに掲載された内容に基づき書いたため、文中の「F議員」を「藤沢議員」のことだろうと推測しました。
その後、6月に入って市議会の議事録が公開され、該当部分が本年3月の市議会での発言であり、「F議員」=「藤沢議員」との推測は誤りであったことがわかりました。(掲示板の方で指摘してくださった方、ありがとうございました。)
記事の扱いについて迷いましたが、記事を書いた5月の時点では「F議員」というイニシャル以外に情報がなく、このような誤解が成立しえた(イニシャルで書かれたものは、読み手である市民には想像の範囲で推測する以外に方法はない)ということについても、考えるべき点があると感じ、本注釈にて当ブログの誤解であることを明示させていただいた上で、原文を残しておくことにしました。
6月11日に誤解が判明しましたので、以上を追記します。今後ともよろしくお願いいたします。【以下は原文です。】



前回の冒頭で、こう書いた。
当ブログの最大の弱点は、突っ込むことすらなくなってしまうと、書くことがなくなってしまうことだ。
この窮状を救おうとしてくれたのか藤沢純一市長の政治組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」のトップページが更新され、坂本洋氏の文章が掲載された。先日、再び登場した超党派の市議会議員が作成した「箕面再生」の第2弾に対するコメントだ。(それほど長くないので、一番下に全文を引用しておく)

だがしかし・・・書けばいいというものではない。

読んでみるとこれまで使っているフレーズの繰り返しばかりだ。
これでは新しいツッコミどころがない。
一応、当ブログの責務として突っ込む努力はしてみるが・・・
辞職勧告決議に至った理由が記されていますが、藤沢市政が続いては困るよほどの理由があるのか?と疑いたくなるような内容です。
堂々と「藤沢市政が続いては困るよほどの理由」を書いているのが「箕面再生」だ。なにをそんなに慎重に疑っているのか。
31年間も続いた役所出身の市長
吹田市役所出身の藤沢純一市長を忘れてはいけない。これを足すともうすぐ34年目に突入だ。
足し算くらいは間違えないでほしい。

・・・こんな細かいツッコミどころしかない。

それにしても、
これまではあらかじめ議会多数派に根回しするのが当たり前だったそうです。
などと、議会への事前の説明があたかも悪しき慣習であるかのように書いているが、本番の会議で(妙な誤解や行き違いなく)有意義なやり取りができるように、事前連絡をとって、お互いに誤解を解くなどの準備をすることは、企業間のやり取りなど仕事をする上では常識以前の話だ。

どこの企業に、正式な会議を、なんの事前連絡もなくやるアホがいるのだろうか。飛び込み営業などとは違うのだ。

仕事をしている人間が見ると非常識としか感じられない記述だが、もしかすると、自称「市民派」グループは、市議会を、自分の家の家族会議かなにかと勘違いでもしているのではないかと疑いたくなってしまう。

また、気になるのがこの部分だ。
前助役が、「F議員さん、えらいことになりました。これまではハコモノを造るだけでよかったが、これからは維持管理費を考えないといけない時代になりました」と数年前に言っていたそうだが・・・
この記述も過去に読んだ気がするので、坂本洋氏が繰り返し使っているフレーズだが、まず、ここで敢えて「F議員」と伏せ字にしている意味がよくわからない・・・というか笑ってしまう。

坂本洋氏がそんな話を聞く相手とすれば「ふじさわ」の「F」しか考えられない。
もしそうではなく、自称「市民派」グループ以外のF議員であるとすれば、かなりの人数を経たマタギキでなければ坂本洋氏にこんな話が届くはずはない。そんなマタギキの話ならば、この引用そのものに信憑性がない。
そして、「H(は行)」ならまだしも「F(ふ)」なのだ。頭文字が「ふ」の議員は極めて限られる。

堂々と「藤沢議員」と書けばいいのに、なんとなく伏せ字にしてみたりする方が隠微で本物っぽい雰囲気が出ると感じるのだろう。井戸端会議のようでなかなか楽しめる。

それはさておき、気になって考えてみるべきことは、この言葉がどうして出てきたかという点だ。
あらためて見てみよう。「前助役」の発言はこうだ。
えらいことになりました。これまではハコモノを造るだけでよかったが、これからは維持管理費を考えないといけない時代になりました。
「前助役」「藤沢議員」がよほど親しいということでもない限り(親しいとは考えられないが)、出会い頭に単発でこんなことを言うわけがない。
つまり、一連の会話のなかで、なにかの問いかけがあって、それに答えたものと考えるのが自然だ。

では、どういう問いかけに答えたと考えられるだろうか。
この発言を要約すれば、「前助役」「藤沢議員」「これまでと違ってハコモノを作るのは難しくなったのです」答えている(説明している?断っている?)のだ。
とすれば、その前の「藤沢議員」から「前助役」への問いかけは「ハコモノを作ってほしい」という要請だったと見るのが自然だ。

にわかには信じがたいかもしれないが、みなさんも少し想像して考えてみてほしい。助役という立場の者が、親しくもない市議会議員に向かって、このような発言(説明)をしなければならなくなる問いかけが、これ以外に思いつくだろうか。

「ハコモノ行政反対」は、自称「市民派」グループの座右の銘ではなかったのだろうか。

批判に使おうとしているこの部分が、裏を返せば実は墓穴を掘ってしまっているということに気づいてないあたりが、さすが愉快な市民派というべきだろう。
しかも、この引用を理由に、
これだけでも歴代市政の責任は明らかでしょう。
とまで書いているのがさらに笑えるところだ。責任をとるべき「歴代市政」には、ハコモノ作りを要請した当時の「藤沢議員」も入っているというわけだ。

それにしても、今回の文章は、すべてがこれまでのビラで書かれているフレーズの使い回しだ。かろうじて笑えるところはあるものの、新しいことがなにも書かれていない。
そして、改めて思い返してみると、2回にわたる超党派の「箕面再生」に対しては、自称「市民派」グループは、「あんたも悪い」というすれ違いばかりで、未だ正面からの反論がされていないことに気づく。

あんなに元気だった自称「市民派」グループが、ここにきてオウムのように同じことを連呼するばかりで精彩さを欠いてしまっている。街頭演説の声だけは元気だが、聞いてみれば内容がない。豊中市長選挙での敗北も響いているのだろうか。
どうかしっかりと笑いを振りまくことを忘れないでいただきたい。


(参考)全文の引用
【事務局便り】
□「箕面再生」というパンフレットが自公民3会派の15人の議員によって再び出され、宅配されています。今回も発行者の連絡先が全く記されていません。内容はまたまた徹底した藤沢市長に対する攻撃です。辞職勧告決議に至った理由が記されていますが、藤沢市政が続いては困るよほどの理由があるのか?と疑いたくなるような内容です。
 31年間も続いた役所出身の市長・・・議会多数派や業界団体にとっては、思い通りになる市政は都合のいいものだったことでしょう。彼らはそれを「箕面市政のよき伝統」と称していました。思いがけずに市民の力によって藤沢市長が誕生し、今までのやり方が通じなくなった。人事にしろ予算にしろ、施策にしろ、これまではあらかじめ議会多数派に根回しするのが当たり前だったそうです。藤沢市長は出来る限り公の場で議論しながら進めて行こうとしているわけで、情報公開・提供はこの間かなり進みました。もみじ便りなどを通じて市民に重要施策を説明する・・・これが議会多数派にとっては気に入らないようです。 「まず議会に説明しろ。」「人事などは複数の候補を議会に示せ。その中から議会が決める。」このような市政運営は全国的に改めていこうというのが現代の流れです。
 さらに財政危機の責任が藤沢市長にあるとしていますが、誰が見ても積年の歴代市長と議会多数派が一体となって進めてきた大規模開発や箱物つくりが原因であることは明らかです。バブル崩壊後、どこの自治体もできなくなった開発路線、箕面市は幸か不幸か財源と土地が豊かだったために、ハコモノ行政をずるずると引きずってきた結果の財政危機です。前助役が、「F議員さん、えらいことになりました。これまではハコモノを造るだけでよかったが、これからは維持管理費を考えないといけない時代になりました」と数年前に言っていたそうだが、これだけでも歴代市政の責任は明らかでしょう。
 自らの責任を全く棚に上げ、市民が選んだ藤沢市長に敵対し、一切仕事をさせないという態度を取り続けている自公民の15名こそ、市民に敵対する存在ではないでしょうか! 自公民を過半数割れに追い込む、そうしないと箕面市は変わらないということです。彼らのうち3人を減らせば、やっとまともに議論ができ、それぞれの議員が是々非々で判断できる箕面市議会になるのではないでしょうか。
2006.5.12
坂本
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2006年05月09日

野田聖子と藤沢純一?(中西とも子)

当ブログの最大の弱点は、突っ込むことすらなくなってしまうと、書くことがなくなってしまうことだ。そんなわけで一休みがてら少し前の記事になるが、中西とも子議員ブログ記事「野田聖子さんの会見に思う。」に、野田聖子衆議院議員に関するコメントが載っていたのがずっと気になっていた。
またもや政治不信におちいる要因をつくった残念なできごと。
野田聖子さんが自民党に「自分は完敗した」「郵政民営化法案には賛成する」などとワビを入れた。
このことの問題を整理すると、

このあと、??????と問題の整理が続くのだが、箕面市にも通じるなかなかいい分析をしているのだ。藤沢純一市長はワビを入れてはいないが、ここからは試しに「野田聖子」「藤沢純一」と読み替えて文章を再構築してみよう
??彼に投票した有権者の民意はどうなるのか?民営化に反対大規模開発中止や競艇事業撤退、ゴミ有料化白紙撤回という彼を支持して1票を投じた有権者は決して少なくないだろう。彼の論理(多数の議会ですので、なかなか実現ができない(H17.3議会発言))でいくと、「少数意見は敗北者」ということになる。これは民主主義の論理にも反する解釈だ。
議員市長は自分の政治的信条・政策を有権者に説明し、その審判をうける。自分に投票というかたちで委ねてくれた「民意」を受け止めながら、議会市長として活動しなければならないという責任を負っているはずだ。
政治家はこうも簡単に自分の信条を撤回してもよいのだろうか?選挙後わずかヶ月で「自分の説は完敗した。だから白旗を揚げる」「開発を中止すべきとの判断をすることはさまざまな要素のリスクが大き過ぎる(H17.2)」「市民サービスを維持するには、競艇事業収入は貴重な財源(H17.2)」「最終的に有料化というね、経済手法を使うことも十分可能性としてある(H17.3)」(いずれも議会での市長発言)という主張には政治的大儀はない。野田聖子藤沢純一さんはもう少し骨のある人かと考えていただけに大変残念だし、がっかりだ。たとえ、諸々の事情があったとしても、である。

??なお、投票総数の分析では、「民営化反対」(議員前市長に投票した票(15500)は「民営化賛成」(同様藤沢純一の票(16500)と拮抗しており、数値的には「民営化賛成藤沢純一の圧勝」ではない。これぞ「小選挙区制」保守分裂による「漁夫の利」のマジックであり、資金面・組織面において圧倒的に不利な造反議員藤沢純一VS公認+公明党の支持を得て選挙を戦ったが保守系が分裂した議員前市長の条件面を考えるとさらに感慨深いものがある。自民党公認の直接対決があったのは33選挙区。造反組み15勝14敗前市長の15500票、これに民主党の4勝分裂した保守系議員の10000票を加えると19:1425500票で、「郵政民営化法案反対」保守系支持票が上回っているのだ。これでは小泉政権藤沢純一の「郵政民営化自称「市民派」が信任された」というわけにはいかない。

??さらに危惧するのは、この間の自民党自称「市民派」議員の傾向として「小泉総理に逆らうと兵糧攻めに遭う仲間なのに藤沢純一市長と意見があわない」から、「言いなりなっておこうなんでも反対しよう」という行動が顕著であること。これは逆に言えば、小泉政権藤沢純一市長が権力を振りかざし、「当選したけりゃ自分は市長だから自分の言うことを聞け」としているのですから、どっちもどっちでしょう。議会とは様々な意見があり、それを議論するなかでよりよい結論を導き出すものである。そのことが、あらゆる民意を反映させることにつながるのではないか。何百という議員がみんな同じ意見を言い、少数意見が葬られる市長が誰だろうと議案になんでも反対をすればいいという図式は本来の議会制民主主義のあり方ではなく、背筋が寒くなる。こんなことが続けば、民衆はまたもや政治不信に陥るだろう。

なかなか的確な分析記事だ。
中西とも子議員はこう締めくくっている。
要するに、有権者がもっと「確かな眼」をもたねばならない、いやもてるような環境をつくっていかなければアカン!ということでしょう。かつての為政者がファシズムへ突き進み、民衆も引き込まれていった歴史的事実があります。不幸な歴史を繰り返さないためにも、私は政治に係わる者として、勇気と信念をもって行動しなければ、と痛感していますだから、どうかみなさんも一歩づつでいいから一緒に踏み出してくださいまし!!

そのとおり。
だが、有権者の「確かな眼」を嘆く前に、自分で自分の行動を反省する「確かな眼」をもってほしいものだ。
そのうえで、愉快さを自覚する「勇気」と、引き続き笑いを提供する「信念」をもって行動すべきことをしっかりと痛感していただきたい。
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2006年04月26日

豊中市長選挙で手薄になる箕面

4月に入り、藤沢純一市長の政治組織「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」が、ビラ「緑のまちづくり通信No.7」(以前の名称は「市長と共に箕面を変える会通信」)をまいた。

以前の記事「本物だった藤沢市長の手紙」で紹介した、藤沢純一市長が市民に向けて送った手紙に同封されていた「事務局便り」に、
プロジェクトみのおとして、自公民の新聞の間違いに関して、4月に発行予定の次号で指摘しますが・・・
と書かれていたため、どんな愉快な反論が展開されるのかと楽しみにしていたのだが、結果は期待はずれのものだった。

というのも、実物を見ていただければわかるが、全体4ページの構成は、丸1ページを藤沢純一市長の施政方針の要約で埋め、丸1ページを公園のアドプト活動をする一市民団体の紹介記事で埋め、残る2ページは、お決まりの投稿記事を交えながら、いつもの公園の樹木、分別回収、平和、30人学級を半ページずつで埋めているというだけのものだ。

記事中に3月議会の様子がさわりだけ触れられているものの、予告されていた「自公民の新聞の間違いに関して、4月に発行予定の次号で指摘」という内容は一切ない、穏やかなビラに仕上がっている。

これはどうしたことだろう?と思ったが、当たり前のことだった。

・・・なんのことはない、豊中市長選挙で、坂本洋氏が忙しいのだ。

藤沢純一市長の政治組織の事務局である坂本洋氏は、豊中市長選挙での自称「市民派」の候補者の事務局を務めている。
つまり、坂本洋氏1人で、

箕面市の藤沢市長の政治組織「市長と共に箕面を変える会」の事務局
豊中市の市長選挙候補者の政治組織「市民派市長をつくる会」の事務局

両方を抱えていることになる。
その関与の深さは、「関わっている」という次元ではなく、完全に事務局を丸抱えしている状態だ。そのことは、坂本洋氏の自分のホームページのなかに豊中市長選候補者のホームページを作成していることや、その豊中市長選候補者の3月14日のブログ坂本洋氏が自らこう綴っていることからわかる。
あっと言う間に、告示まで一ヶ月になりました。
事務所は急ピッチで改装が進み、19日の事務所開きに向けて整備中です。広さは十分・・・机やイス、電話、FAX、パソコン、プリンター、湯沸しポット・・・皆さんが持ち寄っていただいて、何とか使えるようになってきました。
パンフレットも印刷ができ、今後は3月31日のパワーアップ集会を盛り上げることに全力を挙げたいと思います。
陰ながら応援・・・という人が多い中、「障害者の自立と完全参加を目指す大阪障害者連絡会議議長」の楠さんが応援してくださることになりました(^o^)/
私も明日15日から毎日事務所に入ります。

坂本 洋
豊中市長選挙は、4月16日(告示)??23日(投開票)の期間だが、ここに書かれているとおり、坂本洋氏はそれよりも1ヶ月以上前から奔走し、3月15日から選挙事務所に毎日詰めっぱなしという状況だ。

この日付は、先ほど紹介した「藤沢市長からの手紙」3月1日付けで発送され、その後、3月14日(箕面市議会の総務常任委員会の報告記事)を最後に「市長と共に箕面を変える会」のブログ更新が止まっていることと符号しており、以来、豊中市長選挙にかかりっきりになったことが窺える。

この期間中、箕面では3月30日に市長の辞職勧告決議という事件があったが、そんな隣町のことなどかまっていられないという状況だろう。
かろうじて、「プロジェクトみのお(市長と共に箕面を変える会)」のトップページで通り一遍の短いコメントをしただけに終わっている。

そんな状況のなかで発行された「緑のまちづくり通信No.7」には、坂本洋氏はほとんど関わっていないことは容易に想像される。実際、坂本洋氏の名前は記事中に見られない。そして、予告していた反論もない。
それどころか、施政方針の要約と一市民活動団体の紹介記事だけで丸々2ページを使うなど、紙面をなんとかして埋めている必死さの方が伝わってくるのが少し笑える。

しかしながら、坂本洋氏の執筆がないだけでこれだけ内容が薄くなるのを見ると、いかに坂本洋氏が一人で箕面市をかき回しているかがよくわかる。
掲示板に書かれていたが、世間には「選挙屋」(参考:はてなキーワード「選挙屋」という職業がある。
2.地域・思想などのポリシーとは無関係に、公約・イメージ戦術・票読み・人員手配などの選挙ノウハウを商売道具とし、候補者を選挙に通すことで報酬を得て生計をたてる職業。「職業選挙屋」「選挙参謀」「選挙ゴロ」ともいう。
はてなキーワード「選挙屋」より)
坂本洋氏がこれにあたるかどうかはわからないが、豊中市長選・箕面市長選と、地域に関係なく選挙事務所を自らいくつも抱え、奔走するその姿を見ると、少なくとも、彼らがいつも言っている「普通の市民」の度を超していると感じられる。

愉快な市民派たちを多数プロデュースすることについて、花咲爺さんのように笑いを振りまくという一点だけは評価できなくもないが、住んでもいない隣町の箕面を、ここまで引っかき回すのはやめていただきたい。
posted by 箕面仮面 at 08:16| 大阪 曇り | TrackBack(1) | 愉快な市民派たち@箕面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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